アイヌの美しき手仕事 日本民藝館

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アイヌの手仕事

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 府中市美術館のあと、同じく京王沿線つながりで日本民藝館を訪ねることにした。時間もちょうどよかった。
 日本民藝館のような古い建物は、コロナ対策が大変らしい。今ははめ殺しになっている窓を、柳宗悦が暮らしていた頃のように開放すれば、風が通って気持ちがよいのだろうといつも思うが、そうすると展示品が虫に食われる。ので、空調でしのいでいる。しかし、このコロナ禍では、さすがに、二階の窓を開け放つ誘惑に駆られるのではないかと思った。
 コロナ対策で目立って変わったところは、チケットを屋外で求めるようになったことと、今までは靴を脱いでスリッパに履き替えていたのを、靴の上からシューズカバーをかけるようになったこと。刑事ドラマの現場検証みたいで滑稽ではある。でも便利。そもそもスリッパというものは、西洋人を和室にあげるために、靴の上から履いたものなので、ある意味、原点回帰と言える。サザエさんのマンガで、玄関に藁沓を置いておいてブーツを脱がずに部屋に上がるっていうのがあった。あれなんか民芸館らしくていいかも。
 それはともかく、意外なことに、日本民藝館は混んでいた。割とよく訪ねているつもりだけれども、今まででいちばん混んでいた。コロナ禍で苦戦しているのかと思っていたのだが。
 今回、日本民藝館には珍しく、一部撮影が許可されていた。ちなみに、府中市美術館の方も、スタッフに尋ねると「一枚くらいなら」と微妙なことを言われた。「撮影不可」の貼り紙がなかったので、たぶんOKだったんだろうと思う。
 「一枚くらい」と言われたあと、白髪一雄を撮った。その隣のスペースに椛田ちひろがあった。「一枚くらい」と言ったスタッフさんが、こっちをみてるので椛田ちひろは撮れなかった。2枚は「一枚くらい」に入るかもしれない。でも、なんか撮りにくいじゃん。訊かずに撮ればよかった。念のために訊いただけだったんだが、なんかその場の空気で撮れなくなった。
 日本民藝館の撮影可のスペースは、1941年の「アイヌ工藝文化展」の再現だそうである。そのとき、収集展示をしたのは芹沢銈介だった。一室で芹沢銈介の染色作品が展示されていた。染色出身の連想かもしれないが、デュフィの明るい色を思い出させた。
 それから台湾の民族衣装があり、このビーズ刺繍がすばらしいと思った。
 めずらしいところでは、蓮如上人の御文があった。凡夫往生の手鏡と言われているだけあって、室町時代のものなのに、私でも読める。すべての漢字にルビがふってあり、カタカナさえ読めれば読めるようになっている。
 蓮如上人は、信心の沙汰をせよ、つまり、信仰について議論せよと言った人だった。庶民の暮らしに信仰があった手触りを伝えてくれると同時に、柳宗悦民藝運動にこめた思いにも触れた気がした。

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