ウィンザーチェア

knockeye2017-09-16

 日本民藝館ウィンザーチェアの展覧会が始まっている。11月23日まで。長野県信濃美術館との共催で、そのせいか日本民藝館の展覧会としては珍しく図録が用意されていてうれしかった。
 日本民藝館は、柳宗悦の旧居で、生活感のある建物なんだけれど、そこに18世紀のイギリスの椅子がずらって並んでいるのはなかなか壮観。ライティングもよく、コムバック・チェアっていう櫛形の背もたれのある椅子が民藝館の壁に映す影なんてちょっとほかの美術館には出せない味わい。
 座れないのが残念だけど、すわりたいと切に思わせる魅力的な椅子の数々です。


 柳宗悦濱田庄司が、1929年に渡欧。そのとき、ウインザーチェアを含む西欧の椅子を300点も蒐集して持ち帰った。もっとも、それは京都の鳩居堂主人、熊谷直之に濱田庄司が依頼された買い物なので、柳宗悦自身は「大いに謹慎」して「うたた腕を撫する想い」だと書いている。その文章によると当時、2〜5ポンドの相場だったそうだ。1929年は大恐慌の前後で物価が大きく違うはずなので2〜5ポンドってのがどのくらいなものか簡単には言えないと思うが、つらつらネットブラウズして調べると、今の感覚で5万円〜12万円くらいの感じなのかな。濱田庄司は、鳩居堂主人から3万円あずかってって300脚買ってる。1935年のお米10キロが2.4円だそうだからそんなもんかな。
 18世紀の古い椅子が当時そんな値段で取引されてたってのが高いのか安いのか分からないけれど、ただ、そのときすでにそういうマーケットが存在していたってわけなんだろうが、一気に300脚買って帰ったのはすごい。
 この話を聞いてついつい思い出していたのが、ヴィンテージ・デニムのことで、今では何百万円って値段で取引される古いジーパンだけれど、そのマーケットを作ったのは80年代の日本人だった。折りジワに沿って色落ちした部分は、英語でも「ヒゲ」で通用するそうだ。
 「英国の家具は朝鮮に次いでのものと思ふ」と書いているように、朝鮮の陶磁器を現代に再発見したのも柳宗悦だった。必然的に茶についてもいろいろ文章を書いていて、椅子席での茶会というのを試みたことがあったのは、そうした文章か、でなければ、何かの展覧会でか知ってはいたのだが、その時に用いた椅子が、これらウィンザーチェアだったとは知らなかった。なるほどなぁと思った。いにしえの茶人たちが井戸の茶碗を発見したように、柳宗悦ウィンザーチェアを発見したわけだから、これは確かになくはないんだと思う。
 ただ、私が思うには、茶事に正座をするのが礼に適っているかどうかがそもそも疑わしい。これについては、矢田部英正の『日本人の坐り方』に当たってもらいたいが、まずは、きものの反物の幅を、徳川幕府の規制以前に戻すべきだろうと思う。
 私が訪ねたその日は、西館の公開日で、柳宗理が子供の頃を過ごした部屋も見ることができた。イギリス人が、実際に椅子を作っている古い動画が紹介されていた。それはもちろん18世紀ってわけではないが、改めてしみじみ思ったのは、イギリス人は森の中で椅子を作る時も背広なんだなってこと。中には中折れ帽を被っていたりする。図書館の人が映画を撮りに来るってオメカシしたって風には見えない。こういう身体性の延長上に椅子があり、だから魅力的なんだろう。
 こういう身体性を私たちが失ったかどうかなんだけれど、その延長上にファッションがあって、建築があって、町づくりがあると考えていくと、日本人は具体的な身体性を失っているのではないか、しっくりくることこないこと、快適なこと不快なこと、の区別がつかなくなってしまって、あるかなきかの正不正に声を荒げているのではないかと、不安になってしまう。
 所さんの世田谷ベースを見てたら、ヴィンテージもののパイプレンチってのが出てきた。ニューヨーク製だそうだ。今、ニューヨークでパイプレンチなんて作ってないだろうが、昔は作ってたんだろう。庭の水道を直そうとして、たまたまあったそのヴィンテージもののパイプレンチを使ったら、絶妙にしっくりきたのだそうだ。多分、ヴィンテージってのは、そんな具合に生まれてくるものなんだろう。