『土を喰らう十二ヵ月』 ネタバレあり

 『土を喰らう十二ヵ月』を撮った中江裕司監督って人は変わりものみたいだ。水上勉のエッセイを映画にすること自体が、少しはユニークだが、それをさらに沢田研二主演。原作を読むと、その当時の水上勉は現在の沢田研二よりひと回り若い。だと、役所広司とか、三浦友和とか、そういうキャスティングになってもおかしくなかった。
 でも、多分、ホンモノの京都弁が欲しかったのではないかなと思う。京都人のたたずまいというか。
 原作は、水上勉が軽井沢に独居していた頃のことを十二ヶ月に分けて書いている日記風のエッセイで、幼い頃、9歳から口減らしのために禅寺に出されていた時に憶えた精進料理を作りながら、食にまつわる思いをあれこれとつづっている。
 精進料理なので、家庭やレストランで出される料理とは違い、食材を調達する畑から作らなければならなかったそうで、舞台となる信州の古民家の前に、これはスタッフが作って、管理は地元の人に頼んだそうだ。撮影に一年かかっているのは映画を見ればわかるが(ちなみにあの初雪の夜のシーンはホントの初雪だそうで、天気予報と首っぴきになって読み切ったとパンフに書いてあった)、舞台をしつらえるのにそれ以上の時間がかかっているのは言うまでもないか。
 料理は土井善晴の監修。1年間の料理だからこれは大変な作業に違いない。最初は「この映画、どのレベルでやりたいの」と言われ、いったん「出直す」羽目になった。パンフからの引用になるが「料理は主人公ツトムの人格そのものです。料理をしている時に立ち上がってくる気持ちが、この映画には大切だと思っています」というと、土井善晴さんは、伊賀の陶工の福森雅武という人の台所や家を見せてもらうようにと紹介してくれたそうだ。
 料理をしている手は実際に沢田研二の手だろう。米を研ぐ、紫蘇をしぼる、ほうれん草の根を洗う、この辺は沢田研二の手である必要があった。おそろしく冷たそうであり、またすこぶる旨そうであった。
 『ザ・メニュー』、『ピッグ』とこのところ食に関する映画ばかり観ているようだが、『ザ・メニュー』とこれはまったく違う。偶然だが、そうやって比べてみるとおもしろい。原作も映画ももともとは道元の『典座教訓』に依っている。
 が、水上勉って人は、本人曰く「禅寺を脱走」した人だそうで、映画との関連でいうと『越後つついし親不知』、『五番町夕霧楼』、『雁の寺』など、どちらかというと艶っぽい映画の原作者として知られているだろう。
 中江裕司監督は、『土を喰らう十二ヵ月』をネタ本にしながらも、その他の水上勉作品もかなり読み漁ったそうだ。原作のテイスト通りなら、『かもめ食堂』より軽い感じの、エッセイ映画になってもよかったはずだが、奥さんを亡くして1人暮らしているところが、まず原作と違う。別荘ではなく移住なのだ。
 そして、ときどき通ってくる松たか子の演じる真知子とは、単に編集者と作家の関係ではないとわかってくる。13年前に亡くなった奥さんは真知子の職場の先輩だったそうなので、そうなると、いつからそういう関係だったのかも気になってくる。
 この男女関係がまったく原作と関係ないのが面白い。原作者の他の著書に何かあるのか知らないが、いずれにせよ、この『土を喰らう十二ヵ月』にそれを絡めたのは監督のオリジナルに違いない。
 ツトムさんの義母のモデルは原作の母方の祖母のようだが、これもオリジナルで、演じた奈良岡朋子のたたずまいが良い。ツトムが、敢えてあの写真を遺影に選ぶところに、この映画のもうひとつのテーマがあるだろう。
 ツトムの選択を真知子は「男の身勝手」となじるが、そうとばかりも言えない。真知子は都会の生活を捨てるつもりはない。というよりそこに価値観の対立を見ていない。ツトムにとっても真知子はそれ以前の生活との唯一のつながりだったと言える。身勝手と言えば、信州に隠遁生活をしながら、真知子との関係を続けているどっちつかずの状態は確かに身勝手なのだった。
 心臓発作で倒れた後、真知子が一緒に住もうというのは、ツトムの田舎暮らしに不便を観ているだけだと言える。もし、何らかの魅力を感じているなら、先に「一緒に住まないか」と言われた時に、態度はもっと違ったはずだった。ツトムもまた田舎に住まない真知子にこそ魅力を感じていたはずなのだ。
 心臓発作で倒れたツトムに一緒に住もうと言う真知子の提案を拒否するツトムの態度が理解できないのは、都会人の驕りというものだろう。少し言い過ぎか。ツトムもまた売れっ子作家な訳だから、実を言えばここに住まなければならない理由はない。その選択の根源的なところを真知子は理解していないが、実のところ、倒れるまでは、ツトム自身も自覚的ではなかったのだろう。
 最後に出てくる料理の大根は皮をむいていない。土井善晴監修であるから、見落としとは考えられない。皮をむかないことにしたのだろうと思う。『ザ・メニュー』の選択とはかなり違うが、この映画のツトムも自覚的にかなり大胆な選択をした。それは、亡くなった奥さんの散骨のシーンにも現れている。
 土井善晴さんの「どのレベルでやりたいの」という問いに対して、単なる料理映画と見せつつ、違う出口に出るってのはあることかもしれないが、観客の考える料理のレベルを超えてくるのはなかなかの力業だと思う。
 ちなみに映画の題字を書いている山内武志という人は芹沢銈介の弟子だそうである。芹沢銈介の作品は、静岡に芹沢銈介美術館があるが、日本民藝館でもみることができる。あの型染のアロハシャツがどこかに売ってないかぁと探したことがある。

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 日にちを変えて書こうかとも思ったが、ここに続けて書き加える。考えてみると、映画は原作よりずっと死に近い。確かに、原作の頃の水上勉に比べると、沢田研二は一回り年上だが、映画のツトムさんには還暦の頃の水上勉は若すぎただろう。
 信州は今では東京から車で1、2時間あれば行ける。そのためか、真知子にはそこに移り住んでいるツトムさんの気持ちが伝わらないのだし、ツトムさんもそれを伝えようとする努力もしていないように見える。
 それを男の身勝手と言い捨てることもできるが、水くさいというべきなのかもしれない。しかし、これは誰かに理解してもらわなければならないことだろうか。結局、真知子には、この映画に出てくる料理が「ツトムさんの人格そのものだ」とは思えていない。
 でも、どちらかというと、フツーの私たちは、真知子に近いはずだ。水上勉の担当編集であることと水上勉であることとの差は、もしそれが小さくとも確然としている。
 私たちはフツーに町の人で知らず知らず町の暮らしが、ツトムさんのような山の人生より優れていると思い込んでいる。しかし、町の暮らしに死はあるか?。町の暮らしは死を遠ざけて見えないものにしている。死はひどく抽象的なものになり、町の人はまるで死なないかのように、永遠に若さを保てるかのように、少なくとも、若いことこそが善であるかのように生きている。
 ファストフードを食べる時、私たちは情報を食べているとよく思う。バイクで旅している時、マクドナルドを見かけるとホッとしたものだった。その感じは旅する自分を何かに繋ぎ直す感じだった。多分それはツトムさんの暮らしとは真逆のものだったろうと思う。ファストフードは町の暮らしを動かす燃料であり、それを食べる人たちをどこを切っても同じ均一なメディアに押し込めてくれる。それこそが都市生活なのである。
 死や老いはわたしたちをそんな都市生活の規格外へと追いやる。私たちはそれを当然のことと受け止めてきたし、それをマナーとさえ呼んでいる。真知子は、そして、病に倒れる前のツトムさんも、そんなマナーを当然のことと受け止めてきた。病に倒れたことで、何が変わったのか?。都会生活で病に倒れても、おそらく何も変わらなかった。すべての老人、病者と同じく、規格外品として破棄されるだけなのである。死をサイクルの中に含んでいる山の暮らしにいたからこそツトムさんは変わった。禅の方ではきっとこれをうまく言い表す言葉があるのだろうが私は知らない。
 真知子の赤いスーツはいささかベタなくらいにはっきりと異物感を漂わせている。が、実は、私たちにとってはツトムさんの方こそ異物なのである。そのことを、あの皮むきしない大根が主張していると見える。ツトムさんがスクリーンに正対しているのはそういう意図なのだろうと思う。その決然とした風貌は確かに、沢田研二をキャスティングした監督の狙い通りなのかもしれない。

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