山種美術館

恵比寿にでかけるついでに、山種美術館で開催中の「浮世絵入門 東海道五拾三次一挙公開」を観た。
前日にテレビで紹介されたせいか、それとも、やはり、東海道五拾三次の集客力がすごいのか、山種美術館としてはなかなかの人だかりだったと思う。
そして、おしゃべりもやや音量が大きめだったが、東海道五拾三次はそういう見方でいいのかもしれない。
みんななんか自分の旅のアルバムでも見るかのような調子で
「ほらここの旅館の屋号がさ・・・」
とか
「昔この近くで働いてて・・・」
とか。
まぁ、うるさいのはうるさいんだけど、それはそれでいいのかも。
私自身も、‘水口’とか‘土山’‘石部’というあたりになると、たしかに個人的な感懐に耽けっていた。
広重がじっさいに足を運んだのは、箱根あたりまでだろうといわれている。
そのさきのたぶん元ネタになったのだろうといわれる、今で言う‘地球の歩き方’みたいな本の絵も一緒に展示されていたが、広重が、ほんのちょっと、アングルとかパースペクティブをいじるだけで、絵の奥行きがまったく違ってしまう。
広重は、風景を絵に描いているのではなく、絵を元にして風景を作っている。そして、その風景が、ヨーロッパの印象派に影響を与えているわけけだから、風景画全般に与えた広重の影響は計り知れないのではないかと思った。
だが、私の今回のお目当ては、同時に展示されている鈴木春信の三点。
<梅の枝折り>、<柿の実とり>、どちらも、ひとりがひとりの肩の上にのっている構図なのだけれど、これを墨の筆でさらりと描くことが、どれほどの‘すごわざ’かと考えてみた。もちろん、春信は、もっと複雑に絡み合ったふたつの肉体も多く描いてきたことだろう。
もう一点は<色子と供>。
現代風に言い換えると、‘ニューハーフとマネージャー’だろうか。そのふたりが、客に呼ばれて出張していくところ。距離感と目線が絶妙。
江戸川乱歩に「押し絵と旅する男」という短編があったが、春信の絵となら、うっかり異界に彷徨いでてしまうこともあるのではないかとふと思った。
他に、歌麿美人画では、当時の彫師たちの‘毛わり’の超絶技巧も堪能できる。