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この著者、オリヴァー・サックスの別の著作のついでに買った本だけれど、こちらが先になった。
著者の本業は脳神経科医で、映画化された『レナードの朝』など、専門分野と重なる著作が(当然ながら)多いのだけれど、この本はまったく無関係で、植物愛好の趣味を共有する、アメリカシダ協会のメンバーと、シダの楽園といわれるオアハカに出かけた、10日間のシダ観察ツアーのあいだの旅日記だ。
私は、旅行記を読むのが好きだ。金子光晴の『どくろ杯』、『ねむれ巴里』、『西ひがし』もそうだし、植村直己や賀曽利隆はもちろん、スタインベックの『チャーリーとの旅』とか。
『ゲバラ日記』は読んでいないのに、『モーターサイクル・ダイアリーズ』は読んでいたりする。
なんでだろうと理由をこじつけてみると、旅行記にプロは存在しないので、どんなその道の大家も、紀行文を書くときはアマチュアに戻る。その意味で、旅行記には著者の人となりが一番よく現れる気がする。
プロフェッショナリズムをアマチュアリズムの上位に置く人がいるが、わたしは、プロはアマチュアの、ごく特異的な一小部分だと考えている。
それにしても、シダ観察ツアーとは茶人だ。10日間の休みが取れたら
‘メキシコのオアハカに行って、シダの観察をしまくるぞ’
と、その時点で、なんかちょっと負けた気がする。
もし、PCをリカバリーするように、この世界をデフォルトに戻したら、そこに残っている文明とはどんなものだろうか。モンテ・アルバンの遺跡のくだりを読んでいて、そんな思いがちらっとよぎる。
世界がどんどんリアルティーを失っているように感じる。時代が過渡期であるからかもしれない。
そういう時代は、いろいろな分野のプロが、自分たちの存在の虚構を思い知らされる時代でもあるだろう。既得権益を守るためのなりふりかまわぬ悪あがきの数々は、おそらく徒労に終わるだろうと思う。