ヴィジェ・ルブラン

 三菱1号館で、ヴィジェ・ルブラン展。
 先に、ウフィツィ美術館展で、この女流画家の自画像を見たとき、「ほんとに、こんな美人か?・・・」
みたいなことを書いちゃったけれど、申し訳ないことに、ほんとに、こんな美女だったらしく、図録には
マリー・アントワネットに見いだされるきっかけともなった美貌を、その後も最大限利用した・・・」
云々のことが書いてあった。
 マリー・アントワネットは、自分の肖像画がなかなか気に入らず、いろいろな画家に何度も書き直させたらしいが、そんな中で、ヴィジェ・ルブランが、ようやく王妃の感興を得られたのは、彼女自身の美貌も含めて、同時代(マリー・アントワネットとヴィジェ・ルブランは同い年)の女性的な美学を、ふたりが共有していたことが大きいのだろうと思う。
 軽薄といえば軽薄だが、荘重だからえらいわけでもなく、言葉の本来の意味ではなく、むしろ、現代の女の子たちが使う意味で、「カワイイ」く描けている。
 後に、何枚ものレプリカが作られることになったという、ヴィジェ・ルブランの描いたマリー・アントワネットの肖像は、男性の画家たちが取りこぼしてしまうだろう、髪型や、装飾や、ファッションや、ポーズの意図について、画家とモデルが共通の価値観を持っていることをうかがわせる。
 ヴィジェ・ルブランが、一躍、宮廷女性の寵児になるのもうなずける。男性の画家たちは、宮廷の婦人たちにしてみれば、まったくわかってなかっただろう。
 そういう価値観が、フランス革命に続く政治の季節のなかで、忘れ去られてしまうのも、よくわかるし、そして、今の日本で、また脚光を浴びることになるのも、また、歴史の必然かもしれない。良くも悪くも女性の時代なのだ。私としては、それが、いい意味であってもらいたいと願っている。‘女性の時代’はいいけど、‘おばさんの時代’は、いやだからね。
 観覧客も圧倒的に女性が多く、自画像の前でたたずんでいた二人連れが「きれいね」とささやきあっていた。
 ヴィジェ・ルブランほどの美貌になると、戦闘力がともなうらしく、マリー・アントワネットが断頭台の露に消えたあとも、いったんロシアやイタリアに逃れるが、旅先からサロンに出展した作品は、喝采をもって迎えられたし、その後、フランスに帰国を果たしている。
 先月、『マリー・アントワネットの宮廷画家』という本も出版された。ちょっとブームなのかも。

 手に職があって、チャンスをものにする機知があって、世間を敵に戦う強さがあって、その上、絶世の美女なんだから、そういう女性に、現代の女性があこがれるのは当然だと思う。
 そうした女流画家は、なにも彼女だけに限ったことではなかったらしく、マリー・ガブリエル・カペの自画像も、負けず劣らずキレイ。この人は、女の友情にも厚かったそうで、マルグリット・ジェラールだったか、マリー=アンヌ・フラゴナールだったか、あるいは、両方違うか、今、肝心な名前を忘れたのだけれど、師匠すじにあたる女流画家が、寡婦になったあと、ずっと隣の部屋に住んで、交流を絶やさなかったそうだ。