帰ってきた江戸絵画 ギッター・コレクション展

knockeye2011-03-26

 ビュッフェ美術館以来のTOICAエリア。東海道本線の‘草薙’という駅で降りる。
 静岡県立美術館は、静岡県立大学と敷地を共有していて、帰りの駅前では、その大学のボランティア同好会、とかいう学生たちが、募金活動をしていた。朝は、小田原の駅でも、地元の高校生だかが、寄付を募る声を嗄らしていたし、もちろん、よいことだと思うが、ただ、ネットでもテレビでも、自宅から募金できる時代に、あえて募金に人手を動員することが、この先の長い道のりに、バランスがとれているかどうか。善いことをするときこそ慎重にならないと、あとで、いやな思いをするかもしれない。
 まるで、リプレイを見ているような気がする。お店の棚にものがなかったり、鉄道のダイヤが乱れたり、公共広告機構のくだらないスポット。阪神淡路大震災の被害者がどうやって立ち直ったか、と、誰かの検索する切れ端が、はてな自動リンクにひっかかってきたりするのだけれど、たぶん、ほとんどの人は立ち直っていない。ただ、立ち直らなくても、なんとか生きていけると学んだだけ。もしかしたら悲観的すぎるかもしれないけれど、あれほどの悲劇から立ち直れる人など、きっとどこにもいないと思う。
 これが、あの頃のリプレイなのだとしたら、ひとつだけは、はっきりしている。今度も、官僚たちは、まんまと逃げおおせるだろう。
 ギッター・コレクションは、アメリカ人蒐集家による江戸絵画コレクションのひとつだが、その所在地がニューオーリンズで、まだ記憶に新しい巨大ハリケーンカトリーナの被害にあい、収蔵品のいくつかを失った。今回は、難を逃れた作品の里帰りなのである。
 伊藤若冲曾我蕭白長澤蘆雪と、なかなか趣味がよい。
 伊藤若冲の<月梅図>は、最晩年の水墨画だそうで、小品ながら枯れた味わいが心にしみた。
 曾我蕭白の<二老人図>は、久々によかった。最近、なんか堅苦しい感じの曾我蕭白ばかりに出会っていたので、これは、私が京都で初めて見た衝撃に近い。
 <月に雲図>、<月に竹図>の長澤蘆雪の天才はあいかわらず。
 鈴木其一の<蓬莱山図>がよかった。こないだの琳派展にならべたかったな。
 今回の発見は、酒井鶯浦で、酒井抱一が目をかけていた弟子だったが、三十代半ばで夭逝した。<銀杏に月図>は、新しい。其一と競い合える画家になっていたのではないかと惜しまれる。
 源蒅は、円山応挙の唯一の内弟子だったそうだ。<桜に鴉図>、漆黒の鴉の背中に、舞い落ちた桜花の花弁に、美意識の高さを感じさせる。
 ギッターというコレクターは、水墨にこころ惹かれるらしく、白隠、仙がい、池大雅などの文人画も多かった。中原南天棒の<達磨図>に「不識」なんて大書してあったり、山岡鉄舟の<龍図>など、「ジョアン・ミロ?」と思ったりした。
 静岡県立美術館は、ロダンのコレクションでも有名らしく、地獄の門をあらためてじっくりと見た。上野にもあるのだけれど、あれは、開放的なスペースにおいてあるので、緑がここちよくて、地獄の門という感じがしない。
 ロダンの彫刻を見ていると、人類全体がナルシシズムに浸っているような、居心地の悪さを感じる。今の私たちは、だれも、ここまで人間の知性を理想化しないと思う。
 地獄の門のモチーフとなった、ダンテの「神曲」の一部が、漱石の翻訳で展示されていた。
「憂いの国に行かんとするものはこの門をくぐれ。
永劫の呵責に遭わんとするものはこの門をくぐれ。
迷惑の人と伍せんとするものはこの門をくぐれ。
正義は高き主を動かし、
神威は、最上智は、最初愛は、われを作る。
我が前に物なし、ただ無窮あり
我は無窮に忍ぶものなり。
この門を過ぎんとするものはいっさいの望みを捨てよ。」
 地獄か煉獄かしらないが、今、私たちがもしこの門に入ったのだとしても、まだ半歩も踏み込んでいない。やがて、つなぎあっていると思った手も離ればなれになるころに、わたしたちはやっと試練を実感することになるだろう。