白洲正子 神と仏、自然への祈り 生誕100年特別展

knockeye2011-03-27

 展覧会の、「西国巡礼」の部に掲げられている白洲正子の文章に、こういうのがあった。

 一九六四年、東京オリンピックが開催された秋、ある出版社の依頼で、西国三十三カ所の観音巡礼を取材した。日本中がオリンピックで沸きに沸いているのを尻目に、旅に出るのがいい気持ちだったからで、まだその頃は私にも多分に客気が残っていたのである。今から思うと気羞しいが、近江の山の上から、こがね色の稲田の中を、新幹線が颯爽と走りすぎるのを見て、優越感にひたったものだ。お前さんはすぐ古くなるだろうが、こっちは千数百年を生きた巡礼をしてるんだ、ざまぁ見ろ、・・・

 実に、白洲正子らしいけれど、彼女をしても、東京オリンピックや新幹線がとくに古くなって、彼女自身の生誕百年という年に、この国がこのような姿をさらしていようとは、おそらく想像もしていなかっただろう。
 そして、そのとき、白洲正子が出会った、千数百年を生きたものたちが、いまなお、力強い問いかけの声を響かせていようということも、あるいは、想像以上であったかもしれない。
 白洲正子の本には、一時、ずいぶんハマったものだったが、明恵上人のあたりで、気持ちが薄れてしまった。
 明恵上人については、河合隼雄の有名な本で読んでいたし、白洲正子はそれに先んじていたわけだけれど、白洲正子の人となりが、すこし、明恵に近すぎたのではないかと思う。
 明恵は、同時代の法然親鸞に比べると、やはり、小さい。しかし、白洲正子の異議申し立ては、その小ささの中にこそ、私達の愛着してやまないものがあるのではないか、そして、愛着があるとすれば、そこに私達自身がいるはずではないか、ということではなかったかと思っている。
 私にとって、白洲正子の文章で、最も重要だったのは、神仏習合の意味の転換だった。
 彼女の文章を読むまでは、別に珍しいことでもないと思うが、私にとっても、神仏習合とは、仏教についての不十分な理解が来した混濁にすぎないと、気にもとめていなかった。しかし、白洲正子はいう。

 ご承知のように、神像は、神仏混淆の思想が生んだ形式です。これは常識ですが、では何故神仏が混淆したのか、
(略)
当時の仏教が、外側の形式を真似ることに忙しく、一般日本人の精神生活に、影響を及ぼすに至らなかった、その間隙を縫って、民族の中に生きつづけたほとんど思想とはいいがたい本能的な力が、ある日突如として爆発した。神像は、そういう噴火山の一つと見ていいのではないでしょうか。

神仏の混淆は、宗教の世界だけの出来事ではない、一回きりの事件でもない、あらゆる時代に、あらゆる所で行われた、和魂洋才の表現であった。

・・・こう書いてみると、泰澄大師は山岳信仰創始者で、神仏習合の元祖であるといっていい。私はこの思想が、日本のすべての文化にわたる母体だと思っているが、
(略)
そういう機運はあらゆる所に芽生えていたに相違ない。
(略)
 周知のとおり、本地垂迹とは、仏がかりに神の姿に現じて、衆生を済度するという考え方だが、それは仏教の方からいうことで、日本人本来の心情からいえば、逆に神が仏にのりうつって影向したと解すべきだろう。

 本地垂迹という思想は美しい。が、完成するまでには、少なくとも二、三百年の年月がかかっている。はたして私達は、昔の人々が神仏を習合したように、外国の文化とみごとに調和することが出来るであろうか。

 これらはすべて今回の展覧会で用いられている、白洲正子の文章で、神仏習合に関係あるところだけ抜き出したので、白洲正子について知らない人には、本地垂迹の伝道師みたいに聞こえてしまうかもしれなが、そういうわけではないので、二の足を踏まないでもらいたい。
 白洲正子は、青山二郎に薫陶を受けた、骨董の目利きでもあり、また、幼いころから能に親しみ、女性として史上初めて能舞台にたった。
 そういう、いわば、身体性の確かさが、文明開化以来、もっといえば、江戸の国学以来、観念が優先して、頭でっかちになっていたこの国の文化に、みごとな足払いをくらわせたと、私には見える。
 文化は結局、もって生まれた身体と同じく、良くも悪くも、現にある制約なので、そこに、他の文化で発展した思想や観念を持ち込もうとすれば、身体の免疫系から挑戦を受けるのは当然で、その挑戦を退ける強さがないなら、それはもともとたいした思想じゃなかったといって間違いない。
 そういう、日本文化の身体性への理解が、余人を持って代え難い、白洲正子の卓越だったと思っている。
 つまり、白洲正子こそが正統な意味での保守だといえる。
 いわゆる右翼や、また、かれらががなり立てている、いわゆる日本文化は、たとえば、靖国神社のなりたちなどを例に、ちょっと考えてみればわかるとおり、近代コンプレックスの西洋かぶれにすぎない。
 白洲正子のいっていることこそ、日本文化なのである。
 今回、日本各地から集められた、神像仏像、また、絵画や舞楽面の美しさはどれも、私達の身体に訴えかける。
 たとえば、少し曲がっている神像の鼻がいとおしいとすれば、そこに、わたしたちの身体があるからだ。左右対称の顔は、顔の観念でしかなく、そこに身体はない。
 なかでも、<焼損仏像残闕>の美しさに息をのまない人はいないだろう。それは、死と再生を経てきた、わたしたちの身体そのものであるわけだから。
 今回の展覧会を企画した人たちの努力に敬意を表したい。ほとんど白洲正子論を一冊書き上げる労力を要したことは間違いない。
 今回の展示は、ぜひ、一緒に展示されている白洲正子の文章を読むことをおすすめしたい。小林秀雄の文章なんかよりはるかにいい。
 また、図録もお値打ち品だと思う。
 
 ところで、世田谷美術館のある砧公園は、もうすぐ四月というのに、コブシやシデコブシの花が盛りで、ケヤキが新しい芽を吹き始めたばかり。今年は春が遅い。