靖国神社で立ち小便

knockeye2013-06-06

 どこかの韓国人が、靖国神社で立ち小便したんですと。それで、それをYouTubeかなにかにアップしたらしい。勝谷誠彦がそれをSPA!の巻頭コラムに取り上げて‘日本人の魂に対する冒涜だ’みたいなことを書いている。
 たしかに、立ち小便は迷惑です。こないだも、毎朝通勤している道の脇で、立ち小便しているおっさんがいて、朝から気分が悪かった。だから、靖国神社であっても、立ち小便はよくないが、それは、公共道徳としてよくないだけで、べつに‘日本人の魂’は関係ない。
 そんなことよりも、どさくさにまぎれて、靖国神社を‘日本人の魂’にされるほうがはるかに迷惑だ。
 靖国とは何か?
 「悪くすればカルト、よくてキッチュだね。」
 こういう議論になったときに、内心「めんどくさいなぁ」と思ったら、こういうふうに答えておけばスルーできると思う。
 だってね、靖国というのは、「明治時代に建てられた神社」なのである。明治時代って、いつ?。リンカーン暗殺より後なわけ。そんな時に建てられた神社が‘日本人の魂’だったら、それ以前の日本人はどうなるの?。
 靖国っていうのは、もともと薩長のひとたちが、明治維新の戦乱で散った同士を顕彰するために建てた小さな祠で、そのままなら、素朴に戦没者を悼む場として今でも親しまれていたと思うけれど、そのあと、ちょうど、今回の勝谷誠彦みたいなひとたちが、‘日本人の魂’みたいな祀り上げ方をしていった。
 明治って何?っていえば、それは西欧化なんです。日本が、19世紀的な中央集権国家になっていくための権威であり装置だったのが靖国なわけで、‘日本の魂’どころか、‘西欧化の権化’なわけです。
 明治になって、神仏分離令が出され、廃仏毀釈の狂乱が吹き荒れるわけだけれど、白洲正子が指摘しているとおり、飛鳥、天平という時代に、外来文化として入ってきた仏教を、日本人の生活感情に添う、神仏習合というかたちに洗練させるまで、わたしたちの祖先は、2〜300年の年月を費やしている。
 それにくらべて、靖国などというキッチュが、わたしたちの国にもたらした災厄を、目を開いてよく見ろ。
 たしかに、元はといえば、靖国は、戦没者を悼むための施設だった。しかし、今ではそうじゃない。あるいは、そうじゃなくさせいる連中がいる。それはとりもなおさず、報道陣の前で、大挙して参拝する政治家たちなのである。ほんとに信仰心があれば、報道陣などいないときに、一人で参拝するはずじゃないか、ほんとに、信仰心があれば。しかし、靖国はとうの昔に信仰の場ではなくなっている。中央集権国家のお祭り広場であり、見世物小屋になってしまっている。かれらは、廃仏毀釈で荒れ狂った暴徒たちの末裔にすぎないと思う。