「スプリング・ブレーカーズ」

knockeye2013-06-22

 東大が9月入学を断念したのは、この映画の影響があったとかなかったとか。
 それはともかくとして、9月に新学期が始まるアメリカの大学生にとって、‘スプリング・ブレイク’春休みは、日本とは違う感覚なんだろう。最初、「スプリング・ブレイカーズ」と聞いてもピンとこなかった。バネでも壊すの?という感じ。
 ジェームズ・フランコが叫ぶ。「ビキニとケツこそ人生だ」。アメリカという国は、こないだまで‘オキュパイ・ウォールストリート’とか‘われわれは99%’とか、メソメソしてたかと思いきや、シェールガス革命とパーナンキの金融緩和で、景気がよくなったらすぐこれ。
 アメリカ在住の町山智浩なんかも、ついこないだまで「アメリカンドリームはスウェーデンモデルに敗れ去った」とかいってたのに、こないだ週刊文春の連載をみたら、某有名アパレル・ブランドが、売れ残った服を寄付せずに焼却していたというニュースで、「でも、わかるな、幸福感って人と違ってるってことなんだよね」とか書いてる。‘ザ・現金’という人たち、かけねなしに。
 横浜のブルク13で観たのだけれど、意外だったのは、エッというくらい、観客は若い女の子ばっかり。でも、そうなんだ、これは、10代の女の子たちが盛り上がる映画なんだよなと、しみじみしてしまった。いわば、10代の女の子たちにとっての「仁義なき戦い」、見終わった後に、アシュレイ・ベンソンやヴァネッサ・ハジェンズになったつもりになるのだろう。
 テレビCMでおすぎとかが‘泣けます’とかいう映画にのこのこでかけていくより、そのほうがはるかにアタマがまともだと思う(おすぎは週刊文春の映画評おりたね。いまは洞口依子がやってる)。
 わたしは、心のどこかが懐古的になるのを映画の間中ずっと感じていた。こんなビキニとケツの帝国が、アメリカにはずっとあり続けたのか、現にあるのか、それとも、ハーモニー・コリン監督の妄想の中にだけ存在するのかはしらないけれど、こんな帝国が日本にもあると、少なくとも信じられていた時代はたしかにあった。
 いいクルマに乗って、いい服を着て、いい女のケツを追いかけ回していたぎらぎらした時代があった。2013年現在の若者のイメージといえば、新大久保あたりでヘイトスピーチに声を嗄らしている愛国者。年長者として彼らに忠告するならば、国を愛するよりケツを愛せ、国はケツを包んでいる下着にすぎない。靖国神社に参拝するバカより、靖国神社で立ち小便するバカの方が俺は好きだね。
 さっきうっかりおすぎのことを書いたので思い出しちゃったけど、あのひと、ジョニー・デップの「ラム・ダイアリー」を観て「なんでこんな映画作ったのかわからない」と評したんだよな。そういう人は、永遠に観ない映画でしょうね。