水道橋博士と橋下徹

knockeye2013-06-20

 何度電話しても、NHKが居留守を使うので、いまだに受信料は払い続けているものの、何度も言うように、地デジ化以来テレビは観ていない。
 そういうわけで、週刊文春の記事で知ったけれど、水道橋博士橋下徹と大阪の番組で口げんかの末に、スタジオを出てっちゃったそうだ。
 『朝まで生テレビ』の東浩紀だと、一時間後くらいに帰ってくるのだけれど、水道橋博士のばあいは、2本目の収録に穴をあけて、ホントに帰っちゃった。というのも、‘小金稼ぎのコメンテーター’と言われたのが頭に来たらしく、稼がなきゃいいんだろうという大人げなさだが、でも、テレビタレントがテレビに出て小金稼ぐのが何が悪いのか、別に怒ることでもないと思うが。
 わたしも人並みに、だれかに対してむかつくことがあるけれど、年の功もあってか、今はちょっと立ち止まって、むかつく相手と自分はたぶんどこかが似ているんだなと、考えてみるようにしている。そうすると大概思い当たる節がある。そう頭で理解できてしまうと、案外、感情的にはならない。‘似ている’ことが理解できたと同時に、‘違う’ことも理解できるわけだから。人間の怒りの感情は、多くの場合、鏡に向かって牙をむく、猿のそれ。誰もが自分に不満。
 水道橋博士橋下徹の芸能界でのポジションは確かによく似ていた。奇しくも、どちらも小金稼ぎのコメンテーターじゃないだろうか?。
 水道橋博士は、週刊文春に真意をきかれ「あそこで何も言い返さずに番組が終わってしまうと、視聴者は橋下さんが勝ったと錯覚してしまう・・・」って言ってるんだけど、じゃあ負けてるんじゃないの?。一般的にそれを‘負け’というと思いますけどね。
 それに、橋下vs.水道橋、橋橋対決の勝敗を気にしてその番組を見ていた人がいたかどうか。勝ち負けをいうなら、橋下徹の負けはもう動かないけれど、その上で、大新聞の画一的な報道とは違ったアングルを、視聴者は期待していたと思う。吉田豪ならもうちょっとましな結果になったのではないかと、多くの視聴者が思ったことだろう。インタビュアーがインタビュイーに対して勝った負けたとか、そこにプロ意識があるかと考えれば、お話にならないレベルだと思う。
 それはいいとして、橋下徹水道橋博士に言った内容でおもしろいなと思ったのは、政治家として、元慰安婦が求めている国家補償を認めるべきなのかどうか、政治家は答えなければならない立場にいるんだという主張だ。
 橋下徹が政治家としてユニークなのは、たしかにここだと思った。つまり、両論併記みたいな玉虫色の決着はしないという態度は、この人が政治家として一貫してぶれていない点ではある。
 もうひとつは、元慰安婦の問題を「カネを払うか払わないか」の問題(少し乱暴に言えば)に整理するリアルさが橋下徹の運動神経だということができるだろう。言い換えれば、状況を動かしてゆくことを常に考えているのだ。これに河野談話を比較してみればそれがよく分かる。河野談話を翻訳して聞かされた元慰安婦としては、謝ってんのか謝ってないのかよく分からなかったはずである。
 ただ、こういう歯切れのよさを、たかじんの番組とかではなく、国際記者会見で発揮できないのは、ふだんTwitterなどで暴言を吐き散らしすぎているからだろう。言葉を慎重に選びながら歯切れのよい回答をするのがよい政治家だろう。その意味では、橋下徹には‘小金稼ぎのコメンテーター’がよく似合っている。