池上彰と「従軍慰安婦」

knockeye2013-06-12

 今週の週刊文春に、池上彰が今回の‘従軍慰安婦騒動’について書いている。

 いわゆる「従軍慰安婦」問題の“誤解”を解けば、国益が守られたのか。なまじ中途半端な歴史論争を展開しようとしたため、かえって国益が大きく損なわれたのではないか。

 詳細は読んでいただければいいと思うけれど、わたしなりに要約すると、まずひとつには、今回のことで「従軍慰安婦」問題(池上彰はこの言葉にかならず「」をつけている。それはフェアだと思う)が、国連やサミットで取り上げられることになり、世界に晒される。そのことが日本の国益を損なうのではないかという指摘。
 もうひとつは、歴史を語るとき、学者の立場と、現役の政治家の立場では、発言の意味が違って当然で、政治家の場合は、歴史に対する評価のしかたで、彼自身の現在の政治姿勢の表明となるしかないことを、肝に銘ずべきだという指摘。
 まず、第一の指摘については、しかし、これをマイナスにするかプラスにするかは、政治家の力量次第のはずで、橋下徹の場合なら、国際記者クラブでの記者会見でみごとな弁明をしていれば、一発逆転になったはずだった。
 おそらく、橋下徹がぶら下がりであえてこの問題を口にした時点では、これが騒ぎになることまでは織り込み済みだったはずだが、そういう意味では、自分で仕組んだ舞台でへたを踏んだわけで、わたしが今回の騒動でいちばん失望したのはその点。
 ただ、忖度するに、橋下徹があの記者会見で歯切れが悪かったのは、慰安婦問題そのものではなく、それに、沖縄米軍の風俗発言がからんでしまったことだろう。その部分が計算外だったのではないかと思う。
 第二の指摘については、「歴史は歴史家に語らしめよ。政治家は、現代を見よ。」と、池上彰は結んでいるものの、当事者がまだ生きている、この問題を「歴史」ととるかどうかが、実はポイントなんだなとかえって気づかされたわけだった。
 元慰安婦の方たちにとっては、「歴史」などにはなりえないのは当然だが、わたしたちにとっては、とっくに「歴史」としか思えないのがウソ偽りのない本音ではないか。とくに、これが問題化された1991年というポイントを考えると、これを「歴史」ではないとされた日本政府の困惑は、日本人でなくても理解してもらえるのではないか。
 わたしは、論点はそこにあると思う。
 米国が今回の橋下発言に反応したポイントは、沖縄米軍と旧日本軍をリンクさせて批判した点だろう。つまり、問題は「歴史」の改ざんなのだ。それが、折から安倍首相の「侵略否定」とかさなって発言されたのだから、戦後の日米関係そのものの否定ととられてもしかたがなかった。見過ごせないのは当然だった。川田文子のいうような「人権云々」は頭の片隅にもなかったと思う。
 言い換えると安倍首相の「侵略の定義」云々の発言に対して「侵略は認めるべきだ」といいながら、、橋下徹は、慰安婦問題と沖縄米軍の性犯罪の問題を、同列で論じてしまった。その論を推し進めると、沖縄米軍は旧日本軍と同じだという主張になる。つまり、米軍の沖縄駐留を「侵略」だと言っているのと同じになってしまう。
 橋下徹が、国際記者会見で歯切れが悪かったのは、このことに気づいたからだと思う。その意味では、あの男はやはり頭がよい。
 よくもわるくも、日米が太平洋戦争後の両国関係に描いてきた共通の歴史認識は、「かつては軍国主義に支配されていた日本が、アメリカの指導の下、民主主義的な平和国家として復興へと努力し世界的な経済大国に成長した」というストーリーで、この心地よいストーリーについて、わたしは何の異存もないし、多くの日本人もそうだろうと思う。なんといっても、他ならぬこのストーリーが日本の繁栄の基礎なのだ。
 実は、このことはかなり重要。つまり、このストーリーは、日本という国にとっての「ブランドストーリー」なのだ。日本の国益にとって何がまずいと言って、このブランドを傷付けるほどまずいことはない。
 慰安婦問題が微妙だったのは、これについて謝罪するかしないか、どちらが日本のブランドを守ることになったか、たしかに判断がむずかしかったのだろう。なんといっても1991年なのだ。
 ただ、今にして思えばだけれど、上のブランドストーリーに則して言えば、国家賠償に応じてしまってもよかっただろうと思う。責任というものは、あるかないかを議論していても決着がつくことはない。責任は、あるかないかよりも、取るか取らないかという、意思の問題におきかえないと決着はつかない。
 当時の資料が確認できないので、責任の有無はわからないのだけれど、旧日本軍のもとでおこなわれた一切の悲劇に対して、日本政府は責任を取る。なので、国家賠償する。といっておけば、そのあと、元慰安婦がどんな対応を取ろうとも、日本のブランドは守れたはずだった。「みんなやってるのに何で俺だけ」みたいなのは最悪。
 日米関係を今後も重視するつもりならば、日米が共有している、というよりむしろ、立脚している、戦後復興のストーリーに挑戦することは断じてしない意思表示があるべきで、それは日本のブランドを守るため。それは、アジアにおける日米同盟というブランドでもあるのだ。
 今回、米国が怒ったのは、実は、その点だろう。彼らにとって慰安婦の人権なんてどうでもいい。というのが、いいすぎならば、慰安婦の人権を尊重しないと、アメリカのブランドを守れない(ちなみに、ネットで散見される‘アメリカはプロテスタントの国なので・・・’みたいなの、ちょっとどうか)。
 今後、国連やサミットで慰安婦に注目が集まることになると思うが、以上のようなことを心に留めておけば、平和国家日本というブランドを再発信するよいチャンスになるだろう。安倍晋三ネトウヨと同レベルでないなら、その程度のことはできるだろうと期待したい。