「リアル〜完全なる首長竜の日〜」、「藁の楯」

knockeye2013-06-02

 去年、ヴェネチア映画祭でのスタンディングオベーションも記憶に新しい、黒沢清監督の「リアル〜完全なる首長竜の日〜」。
 Wikipediaフィルモグラフィーによると、2008年の「トウキョウソナタ」以来の劇場映画だから、そういえば、しばらくぶりということになる。
 わたしは、2007年の「叫」も観ているけれど、おそらく、黒沢清らしいと、世情でおもわれているのは、「叫」の方なんだろうし、その意味では、今回の「リアル〜完全なる首長竜の日」は、黒沢清ファン待望の作品といえるのではないか。「叫」のときの役所広司が、今回の佐藤健で、小西真奈美綾瀬はるかということになろうか。こう書いちゃうと「叫」を観た人は早合点してしまうだろうけれど、そこまで責任は持てない。
 意識、無意識、記憶、投影、そういう心のゆらぎみたいなことを映像にする説得力では、黒沢清ほどの人は世界にいないのではないかと思う。
 たとえば、序盤、佐藤健がクルマを運転する場面があるのだけれど、微妙に「?」という映像で、「あれ?これ何?」と思っていたのだけれど、そういうじわじわくる演出がこころにくい。
 今年の2月に「レッドライト」という、ロバート・デニーロシガニー・ウィーバーの映画を観たときに「すべてが可能であるという意味で、‘映画は自由に呪われている’わけで、奇術や超能力をテーマにするとそこが弱点になる」と書いたが、黒沢清監督は、そこを逆手にとる術を心得ている。ハリウッドなんか全然目じゃない感じ。「シックスセンス」くらいでしょ、これに匹敵するのは。


 1日は、映画1000円なので、立て続けにもう一本観た。三池崇史監督の「藁の楯」。三池崇史監督については、わたしは「ヤッターマン」が大好き。あれは堪能した。
 で、そういうことを期待してしまうのだけれど、今回の「藁の楯」は、けっこう長所と短所がはっきりしていて、まず、長所は、ストーリーの骨格がユニークでしっかりしていること。幼女をレイプして殺すのが好きなどうしようもない変態の男に、孫を殺された大金持ちが、金に物を言わせて、その男を殺してくれたら「10億やる」という告知を出す。全国民から命を狙われる羽目になって、あっさり自首してきたその男を、福岡から東京まで移送するSPたちの物語。この設定、三池崇史監督ならいくらでも遊べそうでしょ。
 短所は、ところが、これが意外に遊んでない。ちょっとまずいかなと思ったのは、ネタバレを避けるために、いえないけれど、「これ、さっきのシーンの繰り返しじゃない?」というパターンがあって、しらけてしまった。その直後の大沢たかお藤原竜也の絡みはよいので盛り返すけれど、サービス精神てんこもりの三池崇史らしくないなと感じたシーンだった。台詞だけで処理するのもまずかったような。
 価値観の対立も思ったほど鮮明ではないなという感じ、というのは、犯人役が藤原竜也なので、もっとむかつく感じにやってくれるのかなと思ったのだけれど(ま、むかつくけどね)、もっとエキセントリックに、ちょっといらいらするくらいにやってくれてもよかったと思う。
 途中で、ここでオープンエンドになるのかなと思ったけど、三池崇史監督に限ってそれはないのかも。
 こうやって書いてきて気が付くのは、‘三池崇史監督だから’という文句だな。そう思わずに観ていれば全然OKなんだけど、三木崇史なんだから、‘もっとおかずを’という贅沢を言ってしまう。カンヌの上映後のインタビューでも「洗練されてきたと思うか?」という質問があったと、新聞に書いてあった。監督もちょっと苦笑というところか。
 原作がビーバップハイスクールの木内一裕で、最初に書いたように、この作品のいちばんの長所は、その最初の発想にあるのだから、原作の世界観に忠実に、ということもあったのだろうと思う。