いま、アドルフ・フォン・ハルナックの『キリスト教の本質』を読んでいるところ。昔、岩波文庫に入っていたころに、読もうとして探したら、ちょうど絶版になったころなのか、手に入らなかった記憶があるのと、今回の新しい翻訳の解説をちらっと見たら、森鴎外の「かのように」という小説とのつながりが指摘されていて、何か面白いかもしれないと思って読み始めたが、第五講まで読んだかぎりでは、エリート学生にむけたありきたりのお説教という印象。この先にどんでん返しがあるのを期待する。
昨日は、よい天気すぎてかえって出掛ける気が失せ、部屋でうだうだまったく無為にすごしてしまった。今日も、その気分を引きずっていたのだけれど、やっぱこれじゃいかんと、士気を鼓舞して出掛けたが、セーターだけでもぽかぽかの小春日和だった。
観たい映画もいくつかあったが、今日観るならやはり「神様の言うとおり」。これはすごかったね。
三池崇史監督、この前に観た「藁の盾」が「あれ?」ていう感じだったので、大丈夫かと思ってたけど、今回のスピード感はすごかった。
三池崇史のすごいところは、「ヤッターマン」のときもそうだったけど、マンガを映画化するときに「映画っぽく」しないんだ。そらスタンディングオベーションもするやろってもんですわ。
そして、大森南朋とリリー・フランキーのあのエピソードをいれるところが並みじゃない。あれで広がりがでるんだよな。
ま、名作ですわ。観たらよいですわ。
それで、なぜ、ハルナックの話をしたかというと、『キリスト教の本質』と「神様の言うとおり」をくらべてしまったわけ。
というのも、このハルナックの講義を聴いていた学生たちが、このあとナチズムの熱狂に巻き込まれていくことになるわけだから。神様ってさ、この二つの神様をつい較べてしまうんだけど、ウソっぽい話聞かされるのはもうやだなぁって。
「かのように」で人が動くと思うのは、エリートの浅はかさなんじゃないかと思っているところ。