『聖☆おにいさん THE MOVIE~ホーリーメンVS悪魔軍団~』ネタバレあり

 これを観た週末がM-1だったので、否応なく笑いのレベルの差を感じさせられた。
 福田雄一作品では『赤ずきん、旅の途中で死体と出会う。』を観てるだけだけど、でも、作品群を見てると、基本はパロディ志向なのかなと。
 パロディは好きだけど、笑いのあり方としてはくすぐりにとどまりがち。というのは、パロディ作は元ネタに対する偏愛で、元ネタの作品としての構造から部分を切り出す行為なので、構造的になりにくい。構造に関係のない部分の羅列になりがちになる。
 そのバラバラ感を元ネタに対する異常に強い偏愛が支えている。むしろそちらがパロディの根幹で、そこに一貫したストーリー性があったとしても、それはどちらかと言えばつけたしであるか言い訳のようなものであっていい。
 パロディはパロディで良いのだけれど、笑いを構造的にきちんと考えてないように見えてしまう。というのは、映画という規模の大きな舞台で敢えてパロディをやる自体が落差になるので、それだけに頼ってても何となく笑いになるってことはある。
 言い換えると「映画でパロディやってます、面白いでしょ」以外の構造はこの笑いにはなかった気がする。具体的に言えば、佐藤二郎の長台詞のシーンはまさにそういうものだろう。
 つまり笑わそうとしているその手口が見え見えで、せっかくお金を払ってきているこちらからすれば、払った分は笑っとこうかとなるけれども、テレビで見てるならザッピングされるだろう。
 パロディとしても、宗教文化に対する偏愛が感じられたかというと、「涅槃じゃないから」とか言うシーンも、涅槃図のバリエーションにもっと工夫ができたはず。例えば、紅衣出棺図とか、果蔬涅槃図とか。というか、そこに淫してしまう(構造が破綻しても)のが、パロディ気質なんじゃないだろうか。
 というわけで、パロディとしても、コメディとしても凡庸だったと感じられた。
 十分笑えるし(笑わなかったが)、福田雄一作品ファンなら及第点なのかもしれないが、思い出してしまったのは『大怪獣のあとしまつ』。三木聡ファンとして一連の三木聡作品に親しんできたものにとっては、あれでいいんだけれども、監督の名前で映画を見ているわけではない観客にとっては、特に日本のエンタメの屋台骨のひとつでもある分野で作品を作る以上、作品の構造に無頓着でありすぎた。ゴジラウルトラマンを出しちゃダメ。これは小学生でもどっちらけるぶち壊しだった。
 作家性と言えば聞こえは良いが、単なる手癖で作品を作っていないかどうか点検する必要はあるのだろうと思う。
 今年のM-1はすごかったので、特に見劣りして見えたのかもしれない。敗者復活戦の家族チャーハンのネタだけですら、この映画より遥かに笑いの質が高いと思う。

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