『ミツバチのささやき』『アステロイド・シティ』『シャーク・ド・フランス』ネタバレ

 『ミツバチのささやき』をTOHOシネマズの午前10時の映画祭で観た。町山智浩の解説付き。
 町山智浩の解説がいいのは、個人的な感想を極力はさまないところ。つまり、ここが好きですとか、ここが〇〇っぽいとかじゃなく、作品の映画史的な位置とか、映画が作られた頃の時代背景、監督の略歴とか、役者の個人史とか、観客の鑑賞後感を豊かにはしてくれるが、それをどちらかへと導こうとはしないように心がけていると見受けられる。
 もちろんそれでも映画の上映にわざわざ解説をつけるのはチャレンジには違いないが、名作の誉高い『ミツバチのささやき』は、その作られた1973年のスペインの状況を知っておくことがほとんどの観客にとって鑑賞の助けになるだろうという判断だったろう。
 そういえば、同じく午前10時の映画祭で『無法松の一生』の阪妻版と三船敏郎版が連続して上映されたことがあった。戦時中の公開だっ阪妻版の方は、検閲でかなりの部分が削られている。しかも、それでもお蔵入りにはならず、フィルムを部分的に物理的にいじったために、今となっては元の形に回復できないそうなのだ。阪妻版の方にはその辺の事情をまとめたショートムービーがついていた。
 たぶん作品だけだと、どこか語り足りていない印象になったと思う。特に、恋愛心理の描写について、おそらくは同時代にリアタイしていた観客には通じたかもしれないが、私にはどこか強弱がおかしいように感じられた。その意味では、現代の作家がこれをリメークしたらどうするかなといった妄想も広がった。
 『ミツバチのささやき』は、コンテキストの知識なしでも作品世界が完結していると思ったが、それを知った方がより深みを増すと思えた。2022年の『パラレル・マザーズ』は、ペドロ・アルモドバル監督がスペインに今も残るフランコ政権の傷跡を取り上げた映画だったが、あの映画で掘り起こされている史実が、まさに現実であった時代の、同時代的な映画だったと知りつつ観るとやはり重みは増す。
 『アステロイド・シティ』は、ウエス・アンダーソン監督の最新作。私は、『ミツバチのささやき』と同日に観た。
 これが不思議なことに、ちょっとシンクロして感じられた。
 特に不思議だったのは、オオミチバシリ(TVアニメでワイリー・コヨーテに追いかけられているあの鳥)が、『アステロイド・シティ』の最後に踊っているのだけれど、あの同じ鳴き声が、『ミツバチのささやき』のところどころに聞こえている。
 どちらも砂漠の町だが、スペインにオオミチバシリがいるのか不確かだし、TVアニメのロードランナーのあの声がそもそもオオミチバシリの声なのかも不確かだが、たまたま同じ日に観た、全く別の時代、別の国で作らられた映画の両方から、あの特徴的な声が聞こえてきたのはまったく不思議だった。
 もうひとつはメタ的な要素。『ミツバチのささやき』では、主人公の少女が1931年版の初代『フランケンシュタイン』を観る。このフランケンシュタインの冒頭に「世にも奇妙な物語」のタモリさんみたいに、物語の案内人が出てくる。今の映画ではあまり見かけない冒頭を、何故か『アステロイド・シティ』も受け継いでいる。
 前作『フレンチディスパッチ』では、フレンチディスパッチてふ新聞のそれぞれの記事が映画のチャプターになる構造だった。こうした凝った語り口がウエス・アンダーソン監督の魅力。
 実際、それがすべてと言ってもいい。今更、森鴎外坪内逍遥の没理想論争、横光利一形式主義論争、吉本隆明の『言語にとって美とはなにか』をおさらいするまでもなく、形式は内容なのである。
 ウエス・アンダーソン監督の独特で魅力的なストーリーテリングを私たちは観にいく。これはウディ・アレンの映画を観にいくのと同じ心持ち。オチまで熟知している古典落語を飽きもせずなぜ聴きに行くのかといえば、それは、米朝志ん朝小三治、etcの語り口を聴きたいから。
 そういうことは『シャーク・ド・フランス』なんて映画を観てみるとよくわかる。
 予告編を観るとすごい面白い感じだった。主演のおばさんがコメディエンヌとして花があるし、フランスの海岸にサメだなんて如何にもコントラストが効いてるし。
 それにあの鼻!。ブラックだけどホラ話の匂いがプンプンだった。
 ところが、観てみると、意外にまっすぐなサメ映画だった。つまり、「サメ映画」という形式にハマっちゃって、オリジナルな語り口をたぐりよせられなかったのだ。
 これで思い出すのは『大怪獣のあとしまつ』。あれは三木聡監督の映画なんだから、三木聡作品をずっと観てきた観客はいつもの三木聡作品で、いつも通りの三木聡節を楽しんだけだった。ところがモチーフが怪獣だったために、怪獣映画の形式を期待した観客が多くいたわけだった。しかも「大怪獣のあとしまつ」は、怪獣映画のジャンルとして容易に名作になりうる着想だった。
 それは分かるよ。でも、あれは三木聡の映画だから。三木聡三木聡の映画を撮って、怪獣映画を撮らなかったからといって、誰にも文句言われる筋合いはないわけだが、日本の映画観客の比率では、三木聡ファンより怪獣映画ファンの方が圧倒的に多かったってことなんだろう。
 ウエス・アンダーソン監督作品に限らず、すべてのアートはその形式を楽しむもの。そうでしょう?。そうじゃなかったら、あらすじだけ聞けばいいってことになる。『ONE PIECE』のアニメ版と実写版は同じあらすじですよね。同じですか?。
 古今亭志ん朝が「落語なんて必死で聞くもんじゃない」と言ってた。あの人自身は谷中の虚空蔵様に願を掛けて、鰻断ちをしてまで芸に精進した人だったが、それを聴く方が必死で聴くのは違う。
 ウエス・アンダーソン監督作品の豪華なキャスト、作り込まれた画面、複雑に練り上げたシナリオ、からなるあのストーリーテリングを楽しめないのはどうかと思う。


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