無量義経の問題

 井沢元彦YouTubeにこれが出てきて唖然とした。
 この動画の前段の部分は知っていた。信長のその時代にとっくに決着がついたと思っていたのに、近代になってもまだこれを持ち出す学者がいたってことに驚いた。
 動画の内容を知ってもらってる前提で話すが、一応概要をさらっておくと、信長の治世に日蓮信者の誰かが、「無量義経というお経に、『法華経以前に説いたことは全部ウソだった。いきなり真実を説いてもあなたたちにわからないだろうから今までは真実ではない教えであなたたちを鍛錬してきたんだ』と語られている」とふれてまわって他宗を攻撃して市中が騒然とすることがあった。それで信長が公の場で議論させて事を収めた。
 今では無量義経偽経とされてるはずだが、そんな専門的な知識がなくとも、論理的な思考ができて公平な倫理観がある人なら、簡単に結論が導けるはずだ。そもそもこの逸話自体が宗教的なトピックというより、信長がいかに近代的な感覚の持ち主だったかを示す逸話として語られているものだ。仏教の議論としては内容がなさすぎる。議論した僧侶の名前すら寡聞にして知らない。
 蛇足ながら素朴な疑問点を挙げると、まず、お経はブログじゃないので、それが何年何月何日に説かれたか記されてない。法華経以前、以後と簡単に分けられない。それを成そうとすれば文献学的な態度が必要だが、逆に言えば、七千余巻と言われる一切経を文献学的に眺める態度がなければ出てこない発想だとも言える。いかにも一切経を全体像として眺められる後世の創作くさい。
 天台宗の祖である智者大師が釈迦の一切経を五つの時代に分けた。五時の教判というが、それ以後に出てきた発想だろうと思われる。
 それに、すべての経典は、釈迦の著作ではない。釈迦入滅後に弟子たちが集まって釈迦の説法を書き残したものだ。法華経以前の経がウソだというなら、なぜそれを書き残した?。
 そもそも、真実を語るためにウソで導く必要があったって、その理屈、何?。それで納得できる論理性と倫理観の持ち主だけがこの話を信じられるのだろう。
 信長治世の当時の公論で指摘されたのはもっと根本的に、そもそも法華経と他の経典で説かれてる事が違わない(あたりまえだが)ことがある。法華経と他の経典では「説かれてる内容がまるでちがう」ってことにならなければ無量義経の「爆弾発言」が意味をなさない。しかし言うまでもなく仏説には一貫性があり他の経典に説かれていることが法華経にも説かれている。この点が当時の公論で突かれた点だった。
 私に言わせれば、もし、無量義経が真実で、法華経以外がぜんぶウソだとしても、それでは日蓮が正しいことには全くならない。他の経典を信じている他の宗派は攻撃できる、が、自分たちの正しさの証明にはならない。なのにそれを吹聴してまわる、その態度にその信仰の倫理性は表れていると思われる。
 そもそも七千余巻に上る膨大な経典は、言葉に尽くされない事を何とか伝えようとした釈迦の生涯の痕跡でもある。当時、説法を聴きにきた人の中にそれ一度きりしか聞きにこられなかった人もいたはずではなかろうか。すると何ですか?。釈迦はそういう人に向かって「今これウソなんだけどまあしょうがないか」と思って説法していたと言いたいのか?。一切経を大どんでん返しのある推理小説と勘違いしてないか?。
 と、まあこんな具合に、別に専門的な知識はなくても、論理と倫理の両面から、誰だか知らないその時代の日蓮の信者はやり込められて当然だった。で、こんな具合に、この議論は、たとえばルターとエラスムスの議論のような、宗教的に重要な内容を含む議論じゃないのだ。だから、当事者の僧侶の名前よりも、広く公論という形にしたことが、信長の偉業の一つと語られてるだけなのだ。
 ここまでは個人的には知っていた。ところが明治以降に、「あれは日蓮信者が正しかったのに、信長が殺しちゃった」みたいな話にして広めちゃった学者がいたのは知らなかったので唖然としたのだ。
 つまりこれはどういうことかというと、釈迦がウソをついたとウソをついた日蓮信者が、ウソじゃなかったとウソをついた学者がいたって話なのだ。短く見積もっても300年越しにウソにウソを重ねてる。そのウソのおかげで法華経が正しいとなっても(他宗派の誰も法華経が正しくないなんて言ってないぞ)、それで日蓮が正しいって証明にはならないのに、そのウソに固執し続けるのは何故なんだろう。うすら寒いんですけど。
 前にも言ったように、近代の日蓮主義者といえば、北一輝石原莞爾もそうだった。二二六事件と満州事変、この2人の関わった謀略、つまり、目的のためには平気でウソをつく発想が、ここで繋がってると見えてしかたない。東條英機と仲が悪かった石原莞爾は「東條には思想がないが俺には思想がある」と言っていたそうなのだが、その思想というのが日蓮主義だったと思うと胸糞が悪い。


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