ブランクーシ展

 アーティゾン美術館でコンスタンティンブランクーシ(1876-1957)の展覧会。意外にも本邦初だそうだ。

ブランクーシ 本質を象る
ブランクーシ 本質を象る

 これが

《苦しみ》1907
《苦しみ》1907

こうなって

《眠る幼児》1907
《眠る幼児》1907

こうなった。

《眠れるミューズ》(1910-11)
《眠れるミューズ》(1910-11)
《眠れるミューズ 2》1923(2010鋳造)
《眠れるミューズ 2》1923(2010鋳造)

少し角度を変えるとちゃんと目が見える。

《眠れるミューズ 2》1923(2010年鋳造)
《眠れるミューズ 2》1923(2010年鋳造)
《ミューズ》1918(2016年鋳造)
《ミューズ》1918(2016年鋳造)
《レダ》1926(2016年鋳造)
レダ》1926(2016年鋳造)
《魚》1924-26(1992年鋳造)
《魚》1924-26(1992年鋳造)
ブランクーシのアトリエ
ブランクーシのアトリエ

 ここに一歩足を踏み入れるとこんな感じの作品が所狭しと置かれていた。

アトリエ再現
アトリエ再現

 左から《王妃X》、《肖像》、《若い男のトルソ》、《ポガニー嬢 2》、《洗練された若い女性(ナンシー・キュナールの肖像)》。

アトリエ再現
アトリエ再現
《空間の鳥》1926(1982鋳造)
《空間の鳥》1926(1982鋳造)

 この《空間の鳥》は横浜美術館所蔵なので私には馴染み深い。横浜美術館もようやく再開しているが、東京の美術館より潤沢というわけでもなさそう。

マイアストラ
マイアストラ

 「マイアストラ」は、ブランクーシの故国ルーマニアの伝説の鳥だそうだ。
 1912年に、ブランクーシマルセル・デュシャン、フェルナン・レジェとともにパリの航空博覧会を訪れている。巨大なプロペラを目にしたデュシャンは「絵画は終わった。いったい誰があの巨大なプロペラにまさるものを作れるというんだ?」と発言している。
 プロペラに感銘を受けたのはデュシャンよりむしろブランクーシだったみたいに見える。デュシャンの航空博覧会のこの発言が、私には《泉》に繋がって聞こえない。

《雄鶏》1924(1972鋳造)
《雄鶏》1924(1972鋳造)
《雄鶏》1924(1972鋳造)
《雄鶏》1924(1972鋳造)

 ブランクーシと交流のあった人たちの作品も展示されていた。

イサム・ノグチ《魚の顔 NO.2》1983
イサム・ノグチ《魚の顔 NO.2》1983
アトリエの眺め 1934年頃
アトリエの眺め 1934年頃

 ここに写る《無限柱》を見ると、イサム・ノグチへの影響がはっきりわかる。

オシップ・ザツキン《母子》1919
オシップ・ザツキン《母子》1919
オシップ・ザツキン《母子》1919
オシップ・ザツキン《母子》1919
アレキサンダー・アーキペンコ《ゴンドラの船頭》1914
アレキサンダー・アーキペンコ《ゴンドラの船頭》1914
アルベルト・ジャコメッティ《ディエゴの胸像》1954-5
アルベルト・ジャコメッティ《ディエゴの胸像》1954-5
オシップ・ザツキン《三美神》1950
オシップ・ザツキン《三美神》1950
エミール=アントワーヌ・ブールデル《ペネロープ》1909
エミール=アントワーヌ・ブールデル《ペネロープ》1909

www.artizon.museum