『マンディ 地獄のロード・ウォリアー』

f:id:knockeye:20181121043044j:plain
 ニコラス・ケイジの映画は、とりあえず観ておこうと思ってた時期もあったが、こう矢継ぎ早に上陸して、しかも、大抵が単館上映。その上、あっという間に終了してしまう、というのは言い訳かな。正直言って、ニコール・キッドマンと共演した『ブレイクアウト』のときのメガネがイヤで、それから見なくなった。
 それでも、『ゴーストライダー2』、『ハングリー・ラビット』、『フローズン・グラウンド』は観てますね。ニコラス・ケイジサミュエル・L・ジャクソンモーガン・フリーマンは、とりあえずそこにいれば映画が成立するって気がします。
 『マンディ 地獄のロード・ウォリアー』は、これはもう、完全な「カルト」&「オタク」映画でしょう。
 いつの頃か、80年代か90年代か、こういうのを名作とか、問題作とか呼んで、安直な伝説を作るのが流行った。取りも直さず、それが「オタク」ってことだった。今、そういう気分に浸って、もう一度、こういうのを賞賛する気になるひとは少ないと思う。この映画が悪いってわけじゃなく、サブカルチャーを珍重するのがもう気恥ずかしい気がする。
 『キックアス』は、クロエ・グレース・モレッツの「ヒット・ガール」の存在が、あれを単なる「カルト」映画にさせなかったが、この『マンディ』には、残念ながら、そういった突出した要素はないと思う。
 カルト映画のパロディで、実際、客席には何度か爆笑が起こったが、それでも、なんとなくパロディに徹しきった感じがしないのは、パロディの元ネタがサブカルチャーだからなんだろうと思う。パロディをパロディにしているみたいな気がする。
 それともう一点は、トランプ政権下のアメリカの殺伐さみたいなものに自然と連想が及んでしまうからだと思った。本気で、トランプを大統領にしてしまう国を舞台にすると、全てのパロディが色褪せても仕方ないんじゃないだろうか。たぶん、これは監督がカナダ人だから成立した映画なのかもしれない。
 監督インタビューがここにあった。主役を演じるニコラス・ケイジが夢に出てきたそうである。