『靖国』

knockeye2013-01-03

靖国 (新潮文庫)

靖国 (新潮文庫)

  • 作者:坪内 祐三
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2001/07/30
  • メディア: 文庫

 今年の読書はじめは、坪内祐三の『靖国』。
 と、こう書くだけですでに「おっ」と(どのような意味でも)身構える人がいるかも知れない。しかし、たぶん、そういうひとはこの本などは手に取らないか、もしくは、読んだとしてもお気に召さないだろうと思う。イデオロギッシュということについてわたしなりにいろいろ考えているところだけれど、彼らの思考にあっては、問いと答えが逆転しているのではないか。ふつうは問いに直面して答えを考えるが、イデオロギッシュな人は、答えから問いを考える。その意味で、‘靖国とは何か?’という問いについて、すでに答えが決まっている人(わたしに言わせれば思考停止だが)には、この本に書いていることが頭に入るとは思えない。
 野坂昭如が文庫版の解説を書いている。

「坂」と「橋」は、面白い空間だが、坪内は、「九段坂」と靖国神社の関係を、きわめて明快に解き明し、

ぼくは、本書によって、靖国神社だけじゃなく、日本の近代化が抱えこんだ問題、

また、確かにこれは、祖母のいう意味での「神社」じゃない、他の先進諸国、つまりしきりに戦争をくりかえし、明らかな侵略をなす上で、生命を落とした魂をなぐさめ、感謝を捧げる場所でもない。

当初、設立の趣旨が何であったにしろ、日本人の戦争による非業の死を、なにしろ初めてのこと、あれこれ思惑の交錯する中で、それこそ、本来あるべき、カラッポの空間になったと、自分なりに納得できた、これは見当違いかも知れないが、坪内に感謝する。

 野坂昭如は神戸の人で、すくなくとも、坪内祐三のようには東京の人ではない。野坂昭如と同じように東京の人ではないわたしは、この本を読んで‘なるほど’と思うことがたびたびあった。「坪内に感謝する」というその気持は、とくに、東京の外の人には共感できるのではないかと思う。
 靖国神社が現に東京にあるかぎり、靖国神社を考えることは、現にそこにあるそれを考える以外のことではありえない。ところが、靖国をめぐる議論のほとんどは、‘場’としての靖国神社には目もくれず、そのイデオロギーのまわりをへめぐっているばかりに見える。だとすれば、その議論が平行線をたどるのは当然に思える。
 ‘靖国’が、現在のようにいつまでも中国や韓国でトップイシュー扱いされるについては、その問題が、じつは、日本の近代化の問題であると同時に、かの国々が抱え込んでいる近代化の問題でもあるからだろう。彼らは私たちの近代化をなぞっている。おそらく、かの国々の公式見解とかの国の人々の感覚には決定的なずれがある。それは、私たち自身がこの150年間に経験したことなのである。
 これは、わたしの感じ方かもしれないが、日本の過去について、中国や韓国が「反省しろ」と言っているような仕方では、たぶんわたしたちにとっては「反省」したことにならない。奇妙な言い方になってしまうが、「反省」についても、わたしたちはかれらより先進国なのである。このことが、ドイツの戦後にない、日本の戦後のユニークでややこしい問題だとおもう。
 野坂昭如の書いている「日本の近代化が抱えこんだ問題」に靖国神社がリンクする部分として、基本的にまず確認しておかなければならないのは、後に靖国神社と呼ばれる招魂社が、明治維新の戦乱で犠牲になった、明治政府側の戦没者たちを弔うために立てられた、小さなほこらにすぎなかったという点で、そもそもは素朴で原始的な信仰のあらわれにすぎなかった。
 信仰が原始的であることは恥じることでも悪いことでもないはずだが、後からいろんなでっち上げが盛られ、乗っけられ、尾ひれがつけられるについては、じつは、そのころ、19世紀末から20世紀初頭にかけて、日本だけでなく、西欧列強においても「国家間の儀礼競争」(ディヴィッド・キャナディン『創られた伝統』)が盛んだったという国際的な背景がある。近代化を急ぐ日本がその競争に遅れまいとするのはむしろ当然だった。
 坪内祐三は、T・フジタニの『天皇のページェント』を引いて次のように書いている。

「明治政府の公的儀礼はすっかり近代的形態をそなえるようになり、東京、またある程度までは京都が、新しく華麗で多様な皇室のページェントの公の中心舞台となっていった」。しかもそれらのページェントは、一見伝統的に見えるものであっても(いやそういうものこそ)、西洋のモデルの影響を受けていた。

 しかも、ぜひ注意しておかなければならないのは

国家当局者の手によって正しい信仰のあり方が教示されるいっぽうで、地方の神社を破壊・統制したり、シャーマンや祈祷師やいわゆる淫祠などを迷信のたぐいとして規制し、民俗宗教を攻撃するといった、啓蒙という名の一種の文化的暴力が地域共同体を席巻していった。

 つまり、この時、創られた伝統が、本来の伝統を破壊し、伝統の僭称者が真の伝統を上書きしてしまった。
 靖国神社の招魂祭についてこう書いている。

 ここで記念されている出来事は皆、当時にあっては、つい昨日の出来事である。近代的な出来事である。それが毎年四回、巡る四季と共に、記念され続けて行くことによって、一つの歴史性を帯びて行く。そしていつの間にか、その起源があいまいになり、神話的世界と結び付く。伝統的と思われている物の多くが、じつは近代になって新たに人工的に創り出されたものであると語ったのはイギリスの歴史家エリック・ホブズボウム(『創られた伝統』紀伊國屋書店・一九九二年)であるが、
(略)
一見伝統的とも思われる式次第も、実はそのころ「創出」された代物なのである。

 ここまで引用してきた断章からだけでも、日本のナショナリズムと反近代主義が、奇妙なねじれ方で、インターナショナリズム近代主義に反転することに気が付くはずである。
 「伝統」といわれているものが、実は、グローバルな国家間競争を意識して新しく創られたものであり、しかも、その「伝統」が日本各地の暮らしに根づいている信仰を一律に破壊してしまう。
 19世紀末から20世紀初頭の時代背景を考えれば、この奇妙なねじれについては、仕方ない面もあると思うが、今、21世紀の今にいたって、まだ、この「伝統」を金科玉条としている連中については、情状酌量の余地もない。
 ただ、これだけでは、靖国神社について語ったことにならない。ここまでのことは事細かな例に寄らずとも、頭がまともなら、いわれなくてもわかる。この本のほんとうに面白いところは、靖国神社という‘場’が、小さな祠から次第に勃興していくことで、江戸が東京へと変遷していくことが、そこにくらす東京人の実感として追体験できることである。
 靖国神社は東京の人たちにとって、まずなによりも‘広場’だったのである。
 大村益次郎の卓見による、広場と充分な道幅のあるまっすぐな道路が、江戸を東京という近代都市に変えていった。広場で催された博覧会が、勧工場として東京全体に広がり、銀座を形作っていたという推察はとくにエキサイティングだった。
 だが、その広場が、大鳥居で閉じられた大正10年以後、靖国は急速に軍国主義イデオロギーに収斂していく。そしておそらく日本という国も。
 いまでもときどき新宿なんかで祭に出くわすと、なんだかひどくしょぼくれて見える。「ここ毎週祭だろ?」と思ってしまうわけ。わたしのその感覚は特殊なものではないと思っていて、この本は、その感覚の根がどこにあるのか解き明かしてくれた気がしてちょっとうれしかった。
 江戸から東京へ、近世から近代へ、断絶でも連続でもない、緩やかながら必然的な変容のすがたを描き出している希有な本だと思う。読者はおそらくこの本の向こうに、歌川国芳の暮らした江戸の姿を遠望できると思う。

天皇のページェント 近代日本の歴史民族誌から (NHKブックス)

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  • 作者:T. フジタニ
  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 1994/11/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
創られた伝統 (文化人類学叢書)

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  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
  • 発売日: 1992/06/01
  • メディア: 単行本