自主憲法と本地垂迹

knockeye2012-10-19

 東京維新の会が、都議会で、現憲法を廃し明治憲法を復活させようともくろんだことで、石原慎太郎やその周辺がよく口にする‘自主憲法’なるものの正体が、じつは明治憲法にすぎなかったということがわかって笑っている。
 明治憲法が‘自主憲法’なの?
 もし、現憲法を‘アメリカによる押しつけ’という論理をうけいれるとすれば、明治憲法は‘お雇い外国人によるまにあわせ’にすぎないと思うがどうなんだろう、そのへんの彼らの中のつじつまは。
 そもそも、憲法の価値が、自主かどうかにあるのかという疑問もある。憲法なんて政治を縛る道具にすぎないのだから、使い勝手が良ければ、ソニー製でも、アップル製でもどちらでもよいではないか。
 ようするに‘自主憲法’とは、失われた軍国少年石原慎太郎の‘自分探し’なのである。そして、多くの人が経験しているとおり、他人の‘自分探し’ほど迷惑なものはない。
 しかし、明治憲法を‘自主憲法’と呼ぶその意識はきわめて20世紀的。というのは、江戸時代にはだれも‘自分探し’なんてしない。もっといえば、明治時代でもしていなかっただろう。国木田独歩の、宗教をめぐる葛藤を‘自分探し’ともし呼んだとすれば、それは後世の伝説としてしかありえない。そして、今‘自分探し’なんて口にするのはウケをねらう時だけである。
 ‘自分探し’の寿命は、内田樹が指摘した‘青年’の寿命とほぼ一致している。
 いま、‘自分探し’なんてものを笑い飛ばせる私たちは、こうした‘自分’とか‘青年’とかの概念の多くが、舶来のものにすぎず、日本人の生活感情からは、地上1メートルくらいのあたりを浮遊していたと認めてもいいのではないか。‘自主憲法’もそうした概念の一つだろう。
 もうずいぶん昔だったように感じるが、この日記を検索してみて、去年の3月、つまり、東日本大震災の直後だったと知って驚いているのだが、白洲正子の生誕100年を記念した展覧会があった。
 白洲正子は、一般には、仏教についての不完全な理解か、あるいは、教養のない庶民に仏教を弘めるための方便にすぎないと捉えられてきた本地垂迹神仏混淆の価値を日本文化の文脈から逆転させてみせた。
 こう書いている。

 周知のとおり、本地垂迹とは、仏がかりに神の姿に現じて、衆生を済度するという考え方だが、それは仏教の方からいうことで、日本人本来の心情からいえば、逆に神が仏にのりうつって影向したと解すべきだろう。
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当時の仏教が、外側の形式を真似ることに忙しく、一般日本人の精神生活に、影響を及ぼすに至らなかった、その間隙を縫って、民族の中に生きつづけたほとんど思想とはいいがたい本能的な力が、ある日突如として爆発した。
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 本地垂迹という思想は美しい。が、完成するまでには、少なくとも二、三百年の年月がかかっている。はたして私達は、昔の人々が神仏を習合したように、外国の文化とみごとに調和することが出来るであろうか。

 「外側の形式を真似ることに忙しく、一般日本人の精神生活に、影響を及ぼすに至らなかった」という当時の仏教についての批判は、‘自主憲法’たら‘国家元首’たらの舶来の概念にそのままあてはまるように思う。
 明治維新からそろそろ150年になろうとしている。本地垂迹が美しいとするなら、象徴天皇もまたうつくしいとわたしには思える。神ではない、しかし、国家元首でもない、しかし、それは歴史に照らしてみれば、天皇とはむしろそうした存在だったし、それが日本人の生活感情にしっくり来ていると思う。
 ‘国家元首’とか、‘自主憲法’とか、どうしてそう歴史の浅いおそまつな概念をありがたがるのか。「NOといえる日本」とか強いことを言いながら、内心では舶来信仰から抜け出せない世代には退場してもらって自分探しの旅に出てもらった方がよいのではないだろうか。