「汚れた心」

knockeye2012-08-12

 「汚れた心」の伊原剛志はまったくすばらしかった。
 情報が完全に遮断されている状況で、‘正義’の迷路に迷い込んで、自分を見失っていく人間の、研ぎ澄まされ、削ぎ落とされていく孤独が、映画全体に脈打つ。
 太平洋戦争後、祖国からの情報が混乱するなか、ブラジルの日系人が「勝ち組」と「負け組」に分かれていがみ合っていたことはよく知られているが、400人近い人が殺され、逮捕者三万人を越す悲惨な状況だったそうだ。
 戦場からも、祖国からも、おそらく最も遠く離れている場所で、日本人同士で殺し合っていた。
 わたしの祖国と誰かの祖国とは違う。どちらが正しいとか言うつもりもないし、言われるおぼえもない。祖国は個人の属性にすぎない。
 それを逆に、個人が国家に属するかのように思う人は、‘国家’という言葉に、自我を投影しているにすぎない。自他の違いがリアルに理解できるほど自己が成熟していないので、彼等がたやすく振り回す‘正義’も‘国家’も、実は彼らの‘膨張した自己’にすぎない。膨張した未熟な自己。
 外国人の監督が日本人俳優を起用して作る日本語の映画として「硫黄島からの手紙」に勝るとも劣らない、個人的にはこちらの方がよい出来だと思う。
 欲を言えばきりがないが、奥田瑛二の演じた元軍人の存在が、私にはすこし疑問だった。
 史実を知らないので何とも言えないが、実際にそういう存在がいたかどうかに関係なく、本来、軍にも国家にも属していないはずの移民同士が、国家観をめぐって殺し合うという対立のありかが、元軍人を引き入れることですこし曖昧になったと思う。
 常盤貴子の描かれ方については賛否あるかもしれないが、映画全体が常盤貴子の回想というかたちであるために、ああいう感じになったのだろうし、主人公の伊原剛志が引き裂かれる二項対立の一項として、対称的に描きたかったということもあるだろう。その意味では成功していると思う。
 ただ、常盤貴子としては、余貴美子菅田俊ほど、おいしくなかったんじゃないかなぁと。これは余計なお世話か。
 横浜黄金町のジャック&ベティでは今月末まで。