ジャン・シメオン・シャルダン

knockeye2012-09-21

 三菱1号館でジャン・シメオン・シャルダンの展覧会が開催されている。
 図録にいろんな人のシャルダンについての言及が網羅されていて、これが面白かった。中にドニ・ディドロが紹介しているシャルダン自身の言葉を、すこし抜粋すると

・・・・・それが私たちの罰なのです。私たちはモデルの勉強を5、6年やらされた後で、それぞれの天分に委ねられます。もし天分があるとしたらですが。才能は一瞬にして決定するものではありません。最初の試みで、自分の無能力を認める率直さを誰しも持てるものではありません。幸運に恵まれようとそうでなかろうと、どれほどの試みがなされることでしょう・・・・・
 芸術の難しさを感じなかった人は、値打ちのある作品をひとつとして生み出しません。私の息子のように、それを感じすぎた人は何ひとつ作ることはありません・・・・・」と。

 シャルダンの息子は、画家の学業半ばに自殺したとも伝えられている。
 ジャン・シメオン・シャルダンは、フェルメールと同じくしばらく忘れ去られていた18世紀の画家だそうだ。美術史は忘れっぽさを積み重ねてその価値を損ね続け、逆に作品の方は、絶対の沈黙でその価値を高めていくように見える。歴史そのものが常にあとづけなわけだし、歴史が映し出してみせるのはその時代の風潮だけなんだろう。
 シャルダンが生涯描き続けた静物画を見て回るうちに、頭のかたすみでこう思わない人はいないんじゃないか?‘美術史家のみなさん、ちょっと黙って’。でも、わたくしにそれを言う資格はない、なにせ、忘れる前に知らないんだから。
 シャルダンの不思議さは、静物画で画業をはじめ、風俗画で寵児となりながら、また静物画にもどっている。静物画と言っても花の絵はたった一点だけで、極端に言えば、台所で定点観測をしているかのよう。だから花の絵はきわだって奇異に見える。死んだ兎や果物はトロンプルイユかといわれるほど精密に描いているのに、花は何の花だかよくわからない。
 もし、死んだ兎にむかった同じ技術で花に向かえば、あんなに何の花かわからないような絵になるはずはない。だから、(これはまったくあたりまえのことなんだが)同じモチーフの繰り返しに見える兎や葡萄や桃の絵も、画家にとっては繰り返しではないのだ。
 わたしは、こういう画家の宿業といったものにいつも驚かされる。シャルダンはこの静物を描かざるえなかったということに。