「スリープレス・ナイト」、「ライク・サムワン・イン・ラブ」

knockeye2012-09-22

 映画2本。
 ひとつめはアッバス・キアロスタミ監督の「ライク・サムワン・イン・ラブ」。
 これはまぁ‘どうしてこうなっちゃったの?’と成立事情を尋ねたくなる出来映え。
 それでも前半はまだ、良くもないけど悪くもない、くらいなんだけれど、途中から収集つかなくなって、最後にぐたぐたになる。
 映画の出来に最終的に責任を負わざるえないのは監督であるには違いないけれど、言葉が通じない、文化の違う国で映画を撮るについては、ひとつ歯車が狂うとこういうことになるのだろう。
 ここまでひどいと、観客にすぎないわたしまでちょっと観にいった弁明をしたくなる。わたしがこの映画に反応したのは矢崎千代二なのだった。この夏、横須賀の美術館で、矢崎千代二の小品を何点か観て気に入っていた。画題は‘バタビア’とか‘ガンジス川の夏祭り’とかで、画風も日本的でも西洋的でもない、風通しのよい感じの絵で、その矢崎千代二の絵が映画の重要なアイテムになるらしかったので、そのセンスのよさにちょっと感心していたのだけれど、矢崎千代二とアッバス・キアロスタミがどうやって結びついたのかは、それ自体がこの映画の結果についての、じつは謎かもしれない。
 あの絵の使われ方もおかしいんだけど、ま、しかし、おかしいのはそれだけじゃないので、あえてふれる意味もない。シアターイメージフォーラムの「これは映画ではない」を観るべきだったな。井の頭線の渋谷駅からだと、ユーロスペースの方が近いし、ちょうど上映のタイミングも良かったので。
 というわけでちょっとショックを引きずるかたちになってしまって、このまま帰宅するのもなにか後味が悪いということも手伝って、観るかどうか迷っていた「スリープレス・ナイト」を観ることにした。
 迷っていたというのは、渋谷でレイトショー(題名に引っかけてるのかな?)。ということは、終電には間に合うけど、帰宅は1:00ごろ。これで‘はずれ’だったらダメージ大きいぞっていう迷い。でもありがたいことにこちらは‘あたり’でした。
 ていうか、「ライク・サムワン・イン・ラブ」とのギャップで、よりよく見えたのもあるだろう。ツッコミどころがなくはない。でも、痛快を旨として作られた娯楽作品、そこはよしとしましょう。
 ハリウッドでリメイクも決まったみたいで、群衆がひしめき合うナイトクラブで、マフィアと警官が、たがいに裏切り、だましあいながら、よつどもえの駆け引きを繰り広げる骨格はしっかりしているので、シナリオの弱いところをギリギリ締め上げていけば、さらによくなりそう。
 映画を待つ間に、「夢売るふたり」の観客がぞろぞろ出てきた。映画の手応えってそういう観客の顔を見るだけでも分かるのかも。


 あ、ところで、ヒューマントラスト渋谷が入っているビルの地階でこの↓展覧会があったので、ついでに観てきました。