草間彌生 わが永遠の魂

knockeye2017-02-25

 今週もいろいろあったんだが、毎月のことながら、月末に近づくほど忙しく、ブログの更新がおろそかになるが、まあ、それはともかく、今週、とりあえず書いておきたいのは、この水曜日から、国立新美術館で開催されている「草間彌生 わが永遠の魂」。
 ついこないだ埼玉で観たばかりのはずだが、旺盛な制作意欲に圧倒される。
 今回の展覧会は、二部構成になっていて、一つは最近作、もうひとつは、レトロスペクティブって感じ。最近作をずらっと並べた部屋は、携帯電話にかぎって撮影可になっていた。携帯電話は不可、カメラは可ってのはまあまああるが、その逆はめずらしい。
 それはともかく、その最近作がすばらしかった。
 草間彌生については「反復」ってことがよく言われるのだけれど、草間彌生の「反復」は、高い絶壁によじ登っては落ち、よじ登っては落ちっていうのを毎日毎日繰り返している人のような、見る者を圧倒する力がある。
 リフレーンだったり、再放送だったり、セルフコピーだったりというのではない。激流の中を泳いでいる人がそこにとどまっているように見えるようなもがくエネルギーを感じる。
 わたしなんかは、十代のころから、ほぼ惰性でずっと美術館通いをしている気がしているのだが、草間彌生の「反復」はそういうのじゃない。襟を正される思いがした。
 実際に、この美術館の壁を、草間彌生という人が、よじ登って落ち、よじ登って落ちした痕跡がこの絵なんじゃないかと、一瞬、そんな、幻視ではないが、錯覚でもなく、気配というよりはもっと強く、やっぱり痕跡というのが一番近い気がする。
 あんなの初めて見たのは、展覧会の入場に行列ができるのは珍しくないが、ショップのレジの行列が、廊下にまであふれて三重くらい続いてた。私は図録だけだったので、地下のミュージアムショップで買ったんだが、図録以外も買う人は並ぶしかなかったわけで、グッズを買う人があれだけいたということなんだろう。それも草間彌生という人の特長だろうと思う。美術館の枠に収まりきらないライブ感があるんだと思う。