西大寺展

knockeye2017-08-13

 あべのハルカスの美術館に「西大寺展」を観に行った。これは実は、三井記念美術館でやっていたのだけれど、「西大寺って・・・」という気分になるわけ、関西人としては。そういうわけで、通りかかっても無視していたのだけれど、雑誌でみうらじゅんの紹介記事を見かけて、やっぱり行こうかと思い返した。
 西大寺を再興した叡尊という人は「神風」を発明した人。たしかに蒙古襲来のときに暴風雨が吹いたんだけど、それを「神仏のご加護」みたいな事にした主犯は、この人みたい。「神風」が20世紀の日本にもたらした災厄についてまでこの人に責任を問うわけにはいかないが、実際に闘った兵士達を差し置いて、自分たちの加持祈祷のおかげだと主張して、幕府に褒美を求めたものもあったというから、その辺は倫理的にどうなのかなと思う。
 叡尊周辺の僧侶達は、橋を作ったり、寺を再興したり、貧民を救済したりっていう社会事業には熱心に取り組んだらしい。一時期は日本最大の宗派であったらしい。だが、それは、本来、政治が関わるべきことで、宗教の本質ではないと思う。そういう政治と宗教のケジメのなさが、遠い未来で「神風特攻隊」のようなおぞましい結果を招いたのは、長い目で見ると、偶然ではないと思う。
 暴風雨は、二度にわたる蒙古襲来を防いだ要因のひとつではあったが、それだけのことである。当然ながら、兵士の奮闘が大きかった。鎌倉武士達はなかなか強かったし、戦術的にも結構練られていた。それを、戦地から遠く離れた京都にいて、「神のご加護」なんていうファンタジーを紡ぎ出してしまう、それもまた信仰の一面ではあるだろうが、昨日紹介した浄土信仰とはまるで違う。
 その暴風雨は、当然ながら、友軍の船も沈めてるんだが、そういう事実を無視して、「神のご加護」だ、「神国」だ、みたいなことを言う、根拠のない自己肯定は、たしかに太平洋戦争中の官僚たちに通じるものである。
 神像、仏像の名品は多かった。しかし、
「念仏は易きが故に一切に通ず。諸行は難きが故に諸機に通ぜず。しかれば則ち一切衆生をして平等に往生せしめむがために、難を捨て易を取りて、本願としたまふか。
もしそれ造像起塔をもつて本願とせば、貧窮困乏の類は定んで往生の望を絶たむ。しかも富貴の者は少なく、貧賤の者は甚だ多し。もし智慧高才をもつて本願とせば、愚鈍下智の者は定んで往生の望を絶たむ。しかも智慧の者は少なく、愚痴の者は甚だ多し。もし多聞多見をもつて本願とせば、少聞少見の輩は定んで往生の望を絶たむ。しかも多聞の者は少なく、少聞の者は甚だ多し。もし持戒持律をもつて本願とせば、破戒無戒の人は定んで往生の望を絶たむ。しかも持戒の者は少なく、破戒の者は甚だ多し。自余の諸行これに准じてまさに知るべし。」
という、法然上人の方にわたしはやはり惹かれる。