安倍昭恵機関説

 昔、天皇機関説論争というのがあった。それについてはWikipediaでも参照してもらえばいいが、目下の課題である森友問題について、安倍首相夫人の昭恵氏を国会に呼ぼうとする意見があるらしいから聞きたいのだけれど、首相夫人は法で定義されてる政治機関ですか?。違うでしょう。
 これに対して官僚は間違いなく機関である。官僚の業務は政治機関として法で定められていて、そこから逸脱してはならない。首相夫人に忖度したかしないか、首相夫人から圧力を受けたか受けないかは、逸脱についての言い訳にならない。
 官僚が、法の精神から逸脱した行為の理由が、安倍昭恵さんから圧力を受けたから、で通るのであれば、朝食のお茶に茶柱が立ったから、あるいは、太陽が眩しかったから、あるいは、ヒルトンが二塁打を打ったから、でも通ることになってしまう。
 文民統治の原則を踏み外して、官僚が国会に提出する文書を改ざんしたなどということに、どんな言い訳も通用しない。首相夫人の圧力などというものが、もしあったとしても、それがこの問題の重要なファクターだと、思考できる回路が理解できない。政治家も国民も屁とも思っていないこの国の官僚が、首相夫人にだけは平身低頭すると、なぜ考えうるのか?。
 首相夫人が公人か私人かは、果てしもなく議論してくれればいいが、文書改竄の責任は官僚にある。その責任は厳しく追及されなければならない。
 役人の書いたブログに「官僚は忖度で改竄なんかしない、圧力があったに決まってる」みたいなのがあったのだが、裏を返せば、官僚は圧力を受ければ改竄くらい平気ですると白状しているようなもの。それで「官僚をなめるな」とか言ってる意味がわからない。
 国会での太田充理財局長と共産党小池晃とのやりとりでは、小池晃氏が
「なんで国会議員でもない安倍昭恵さんの動向が、決裁文書に記載されているんですか?」
と聞くと、太田充氏が
「それは基本的に、総理夫人だということだと思います」
と答弁したのに対し
「重大な発言ですよね。総理夫人なんですよ。まさにね。国会議員以上に配慮しなきゃいけない存在なんですよ。だから決裁文書に登場してきてるわけじゃないですか」
と言っているが、このやりとりのどこで、太田充理財局長が「総理夫人は国会議員以上に配慮しなきゃいけない」と言ったか?。
 小池晃氏がそう言っただけだし、なぜ総理夫人が国会議員以上に配慮しなきゃいけない存在だといいうるのかの論理的な根拠も示していない。
 これが、安倍昭恵氏を国会に招致する根拠であるとするなら、これはもう人民裁判で吊るし上げたいという、露骨なポピュリズム戦略にすぎない。
 これが、共産党、あるいは野党が国民に示しうる民主主義の姿だとしたら、失望せざるえないだけでなく、警戒せざるえない。
 戦前には、鳩山一郎の「統帥権干犯問題」というのがあった。当時野党にいた鳩山一郎が、ロンドン海軍軍縮条約をめぐる国会論戦で「軍縮問題を内閣が云々することは天皇統帥権の干犯に当たる」と発言した。この発言は、与党を攻撃するために軍におもねった発言だが、国会議員自らが文民統治を批判する発言であり、この「統帥権の干犯」が、のちに軍が暴走する根拠となった。
 小池晃氏は、誰もそう言っていないのに「首相夫人が国会議員以上に配慮されなければならない」と架空の状況を指弾し、その架空の状況を根拠に内閣を攻撃しているが、それが、もともと脆弱だった内閣の文民統治の弱体化につながる可能性は十分にある。踏み込んで言えば、それが狙いであると私は思っている。
 マスコミには、内閣人事局を攻撃する記事が散見され始めているからである。
 戦前、大陸における軍の暴走を、国会がなし崩しに容認していったのだが、その深層には、鳩山一郎が与党の足を引っ張ろうとした「統帥権干犯」発言があって、軍は「統帥権」を根拠にして、戦線を拡大していった。国会議員が自ら文民統治を手放した歴史に学ぶべきである。