感情教育?

knockeye2004-06-12

車を何度目かの修理に出した。こないだの制御不能以来、いやになってしまってマイティボーイに目移りしていたが、よく考えると、買った時と同じ値段をかけてなおしたのに、このまま買い換えては泣き寝入りだと気が付いた。


ホントはもうちょっと怒りたいところだが、どうもちゃんと怒れない。理性や知性の教育は高度にシステム化されているが、感情教育はけっこうないがしろにされている。感情は本能的なもので、教育されなくてもいいものだ、あるいは、教育されるべきではない、と思われている気がする。情操教育と言う言葉はあるが、音楽鑑賞とか学校で映画見に行ったりとか、そんな程度のことだ。だが、ほとんは、喜怒哀楽の教育はとても重要だと思う。特に、怒りという感情をどのようにコントロールするかは、ちゃんと教育されない限り、いつも怒っているか、私みたいに怒るべき時に怒れないか、じゃないだろうか?


以上の話の流れから,佐世保の女児殺害事件に言及しようとしているわけだけれど、すでにばれていると思うのでそこはとばす。加害者の女児が『バトルロワイヤル』を愛読していたらしい事に、考えさせられた。深作欣二監督の遺作となった映画の方は、公開当時、表現の自由を巡って問題になった。映画自体にさほどショックは感じなかったが、公開を規制すべきだとする急先鋒だった、民主党の石井議員がその後、映画さながら、道路公団問題を巡って、謀殺されてしまった。世界は意外に暴力に満ちている。