行動力

knockeye2004-06-11

このブログを始めた頃、と言っても、ほんの一ヶ月前だけど、「自己責任論」がかまびすしかった。今回のジャーナリストお二方は亡くなったので「許しといたらぁ」ということなんだろうか?生きて帰ってくると、あれだけバッシングされる。


村上龍の『希望の国エクソダス
希望の国のエクソダス (文春文庫)
は、アフガニスタンで傭兵をしている日本の少年が、マスコミに発見されるところから始まる。小説では、このニュースに触発されて、中学生の集団不登校が起きるのだけれど、小説の発表から5年以上経て、現実は、ま逆の反応だったようだ。日本では「燎原の火のごとく」みたいなことは、まず起きない。


心理テストでは、私は「行動派タイプ」だそうだ。行動力の有無とは関係ないらしい。「行動力のない行動派」とにかく、束縛を忌避するらしい。


若い頃、胸を悩ましたことが、今では、胃を悩ましている。ソウルメイトとか、ベターハーフとかいう相手を見つけられた人が不思議でならない。「見た目を取り繕っているだけじゃないのか?」と勘ぐったこともあったが、どうやらそうではないらしい。こういう問題こそ、自己に責任を求めて、いろいろ考えてしまうが、答えがでない。性格的欠陥だろうか?名僧のような寛恕の精神が必要なのだろうか?あるいは、単に遊びが足りないのか?ともあれ、このところ、胃が痛い。


行動力という点でいうと、小泉首相の行動力には驚かされる。サミットで「多国籍軍への参加」を表明してしまった。表明したからには、決定事項なんだろう。前にも書いたけれど、イラク自衛隊を派遣する時「非戦闘地域はどこか?」と問われて「自衛隊の行くところが非戦闘地域だ」と答えていた。私を含めて、庶民一般は「国会答弁なんて適当なもんだろう」と考えている。その意味で、小泉首相は、庶民の意見を代弁している。「希代のポヒュリスト」との評価も目にしたが、長々と続いた詭弁家の時代に終止符を打ったという意味では、テロリストと言っていいのではないか?とにかく、行動力のないテロリストはいない。