ブライヅヘッドふたたび

ブライヅヘッドふたたび (ちくま文庫)

ブライヅヘッドふたたび (ちくま文庫)

『ブライヅヘッドふたたび』イーヴリン・ウォー
吉田健一の翻訳で読んだ。
舞台は、第一次世界大戦から第二次世界大戦までの間のイギリスの貴族社会。しかし、その社会も、題名になっているブライヅヘッドという魅力的な屋敷も、すぐに失われることが最初から知らされている。それも当然だろうと思うのだ。いきなり「校僕」なんていう言葉が出てくる。オクスフォード大学の寮にはそんなものがいたらしい。とても第二次大戦後まで生き延びるとは思えない。「『生きる』なんてことは執事に任せておけばいい」とか言う警句が通用した時代の話だろう。
オクスフォードの青春も魅力的だが、小説はその回顧録ではない。むしろ、そういう「アルカディアの幻影」が美しいからこそ、後半の悲劇が生きてくるののだろう。
人が運命的な恋愛よりも宗教を選ぶことがありうるか?という問いなのだが、たとえば10年か20年か前よりも、むしろ今のほうがこの問いは切実なのかもしれない。
この小説は第一次大戦から二次大戦の間の短い時代と、イギリス貴族社会という狭い社会を舞台にしているからこそリアリティーを持ちえているのかもしれないが、その短い時代と狭い社会のリアリティーが逆に私たちに問いかけてくるものがある気がする。
言い換えれば、テーマにリアリティー与ええているものが時代だとも言えるし、ある失われた時代を丹念に描くことでテーマが浮き上がってきているともいえる。こういうのは名作と呼んでいいんじゃないだろうか?ていうか、言うまでもなく名作なのか。
イーヴリン・ウォーはどちらかというと辛らつな風刺家として知られているそうで、その片鱗は主人公の父親や、セバスチャンの兄の描写に現れている。そういうディテールもこの小説を読む楽しみの一つだと思う。
うっかりすると咳をするのを忘れているくらいの感じに風邪が治りかかっているのだが、昨夜は風呂上りについ夜更かししてしまった。大体治ったが咳がまだ止まらない。