美輪明宏とは

三田佳子の次男坊が、また覚せい剤で捕まった。どうでもいいことであるが、その事件を取り上げたお昼の生番組で、美輪明宏が「学校で修身を教えなくなったのがいけない」と言いだしたので、のけぞってしまったのである。
知らない人のために説明しておくと、美輪明宏とは、黄色い長髪にヘアバンドをして、顔におしろい、目に濃い目のアイシャドーをした初老の男性である。その人が修身教育を復活しろと言いだしたのでのけぞったのである。
個人的には、その修身教育とやらを受けた世代の人たちが、とりわけ道徳的にすぐれているとは思っていない。むしろ、その効果には疑問を感じる場合も多い。
何よりも修身教育の問題点は、人格教育の権限を役人に委ねてしまう点にある。敗戦によって多くのものが変わったが、変わらなかったのは、野口悠紀夫のいう1940年体制を維持できた官僚くらいのものであり、その官僚が道路公団社会保険庁の問題を引き起こしている。猪瀬直樹道路公団関東軍と呼んだ。
今月の文芸春秋に「教養立国」とか言い出した人がいる。「国家の品格」でも相当恥ずかしかったけど、「教養立国」までぶっ飛んでいってしまうとさすがにレッドゾーンではないのか。
死刑推進派の人たちについても言えることだが、国家を擬人化してしまっていないだろうか。「朕は国家なり」というフキダシが似合うような天上人が、死刑を宣告する国家ではない。そのへんでネズミ捕りをしている連中のお仲間が、刑の軽重を決めるのだ。冤罪というのは無実の人が罪に問われることである。もしかしたら自分が、役人の気分しだいで死刑になるかもしれない。どうしてそういうことに賛成できるのか、わたしにはわけがわからない。
役人に修身について教えてもらわなければならない筋合いはない。むしろこっちが監視しなければならないと思うが違うだろうか。美輪明宏の口から修身が飛び出すとは。
まぁ、議論はともかく、三田佳子のバカ息子が薬から手が切れないからといって、修身教育を復活されるいわれはないのである。