乱暴と待機

乱暴と待機 (ダ・ヴィンチブックス)

乱暴と待機 (ダ・ヴィンチブックス)

話題になっている小説だが、うわさにたがわぬ出来栄え。
いじめが常態化し、家族が形骸化しいる社会で、じゃあ、人間の社会性って何よということ。
コンセンサスとしての宗教をもたない日本人が、多分その代わりに抱いている強固な信念「世間様」の問題性は、コアがないということだろう。
日本に「世間」はあっても「社会」はない。その阿部謹也説に同意したとして、それでは、個人にとって「社会性」とか、「協調性」とは何のことなのか?答えは簡単で、そんなものはない。
表面だけ人間社会で中身は昆虫社会みたいな暮らしを営んでいる私たちは、ふつうその両方から距離をおいて生きている。つまりタテマエで生きている。ホンネは別にあると誰もが思っている。実は構造上そう思わざるを得ないだけだが。
そういう状況に適応できない、あるいは適応しすぎている存在が、社会にひずみをもたらす。「世間様」の支配するマトリックスは強固で、そういうひずみからしかわたしたちは自分の実像を見ることが出来ない。
うまい具合に小説の内容から脱線してしまった。うっかり「マトリックス」と書いてしまったけれど、山根さんが少年の頃披露するマトリックス的な哲学は、先日、大岩オスカールの時も書いたけれど、現代人が奇妙にも共有する不安のようだ。
作者は、見逃してしまった映画『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』の原作者で、それは主催する劇団に書き下ろした脚本を自らノベライズしたもの。
女性を主人公にしたときの呵責容赦なさは、男性作家の遠く及ばないところ。
オススメ。