夏休み

knockeye2008-07-26

富山で働いていた頃の若い同僚から、いま神奈川に来ているとメールがあり、今日久しぶりに会食した。
10代の頃は美容師を目指していたおしゃれな人で、一緒に働いていた頃も、ときどき有給休暇をとって東京に服の買出しに行きなどしていたので、今回もそのついでだと思い込んでいて、
「どこで待ち合わせましょう」というので、
「横浜か、小田急沿線なら東京でもいい」と、返信していたら、
「辻堂に来ている」
ということだった。
こっちにきてもう3年にもなるのに、神奈川の土地勘がほとんどない。私の行動地図は点と線で構成されていて、まだ2次元の段階に達していない。その日のメールは一旦打ち切って、改めて検索してみたところ、辻堂はJRで藤沢の次の駅だった。背後を衝かれるとは意外。それではともかく藤沢で昼飯でも食いましょうという話になった。
私の若いころに較べて、今がいかに便利であるか。私自身も藤沢は初めてなのに、細かな場所も時間も決める必要がない。どこで何を食おうかまで、あらかじめネットで調べておける。夜勤明けなのでちょっと遅くなるかもと断っておいたが、案外に早く起きることが出来た。
藤沢はなにかの祭りらしく、駅前の歩行者デッキに提灯が連なっていた。それを写真におさめたりしていると、携帯やメールの援けなしにあっさり出くわした。JRで来るのかと思っていたら、辻堂に親戚がいて、車で送ってもらったそうだった。その直前に携帯にも電話したそうだが、私はうっかり取り逃していた。
お互いに初めての街で、打ち合わせも何もなく、遭えることに疑いを抱くことさえなく、実際に会える。待つだの待たせるだのに伴うストレスはすでに過去の遺物になっている。もう彼女が来ないのにいらいらして、駅の伝言板なんかに未練たらしいことを書いて恥をさらすこともないわけだ。
ネットで調べておいたグラッチェガーデンズで、冷製のパスタなど食べながら、とりとめない長話をした。帰り際に「鎌倉でも行けばよかったですね」とか話したものだった。しかしながら、半日で観光しても仕方なかったろうから。
彼が仕事を辞めたことは、すでに人づてに聞いていた。なんといっても、系列会社で同じ職種なので、情報は耳に入ってくる。私がこちらに移動するのと同じ頃、彼も派遣から正社員になるのならないのという話は出ていたのだけれど、彼はまだ若いからだろうか、踏ん切りがつかない様子をしていた。
長いこと派遣で働いてきた私としては、気持ちが分かるような分からないようなだが、職場のトップに近い人から「社員になれるよ」といわれていたのだから、とりあえずなっておけばよいのにと、内心じれる思いだった。
しかし、もちろん、私とはケースが違う。というより、だれにとってもそれぞれに事情がある。どんな個人にとっても一般論は意味を成さない。
私からすれば、20代後半という彼には、膨大な未来が残されているように見えるが、彼にとっては、まさしくその同じものがうず高く積み上げられた宿題のようにみえているのかもしれない。私自身、すり減ってしまった未来にほっとしている一面がないではない。ユニークな感じ方というほどでもないだろう。きっと共感してくれている人も多いのではないか。
彼が仕事を辞めるにいたった話について、退屈してしまいそうなものだけれど、これが自分でも意外なほど共感できてしまって、めずらしくファミレスで長居など。
思い起こせば、彼が辞めた職場の交代勤務の、そもそもの立ち上げから私は働いていた。私がこちらに移ってから、いろいろな問題が起こって、いろいろなことが細分化してマニュアル化していったようだが、そのマニュアルは、私たちの仕事のコピーにすぎない。コピーにコピーを重ねて仕事が劣化していくのが目に見える思いがした。
次々に新しい人が入って、彼としては苦労したようだ。話を聞いていると、私の移動に尽力してくれた当時の上司としては、その若い同僚にその職場全体の責任者になってもらいたかったようだが、彼としてはそこに拒絶反応をおこしてしまったようだ。
上司の側からすれば、得がたい機会を与えたつもりであるはずが、受ける側からすれば、まったくスジの通らない責任の転嫁に思える。一緒に働いていた私としてはそのへんの彼の心理はよくわかる。今、外側にいるので余計によくわかるということもあるだろう。
問題のある現場で(問題のない現場があるかどうか知らないが)働いているものとしては、何よりもまず現状を理解してもらいたいと思っている。そして理解を共有したい。昇進、改善、その他は飽くまで次の段階である。
と、まあ、半分は私自身の現状でもある。私はいろいろな意味で彼より大人だし、それに今では正規雇用でもある。それになにより、良くも悪くも、私は状況を客観視するくせがあるのだ。
そういう人間を人はどう思うだろうか。私は職場で仕事をして、仕事以外のことをしないだけのことなのだが、その単純なことが人には理解できないらしい。
そんなわけで身につまされる思いもあり、がらにもなく長っちりになったわけだった。
彼は、現在、失業保険を貰いながら職業訓練校に通っている。今は夏休みなのだそうだ。20代後半で夏休みなんて、それこそ滅多にない機会のはずだ。助言らしいことは一言も口にするつもりもなかったが、それだけは言ってしまった。もしかしたら生涯の思い出になるかもしれないのだが、それは誰にも言えることではないのだし、そこまでは口に出さなかったが。
私がロシアに行った歳より、彼はまだずっと若いのだ。彼はそういうタイプではなさそうだけど。
日が暮れる前に別れたあと、すごい夕立になった。大和駅小田急から相鉄に乗り換えるときには、電車の屋根を激しい雨がたたいていた。夕立が上がると涼しくなりそうなものなのだけれど、この雨はその後、じめじめといつまでも降りやまず、ひどく蒸し暑い夜になってしまった。昨日の暑さは確かにこたえた。暑さで何人か死んだとニュースが伝えた。