米朝師匠のインタビュー聞き書き

観たいと思ったテレビ番組を録り溜めているけれど見るのはずいぶん後回しになってしまう。
「苦節を笑いに変えて
桂米朝一門60年の軌跡〜」
という番組が7日の深夜にやっていた。
その時の米朝師匠のインタビュー。
枝雀について
「・・・もう、枝雀と、師匠と弟子というのではないような対話をしてましたからね。」
「ああ、そうなんですか。」
「あのネタは、私はこうやと思いますというような、もう議論ですな。」
「落語に対しての・・・」
「ええ」
「それはもう対等みたいな感じでできるんですか。」
「そうそうそう。枝雀も遠慮してぇしませんからな、私に対して。そういう場合はね。私も、おまえどない思うという調子で・・・彼の場合は特別やったかもわからんけども。そういう議論は平気でやってましたよ、わりと若いあいだからね。」
「そういう関係を知らない世間の人はですね。枝雀さんの落語は米朝落語の破壊だとか、異端だとか言った人もいたんですけども(笑)米朝さんはそういうつもりは・・・」
「そんなもん破壊してくれてけっこうやと。」
「あ、そういう・・・」
「そりゃそうですよ。」

枝雀の自殺について
「そらぁ、つらいてなもんやおまへんわ。一番頼りにしてる弟子でしたからな。」
米朝さんが、枝雀さんのお亡くなりになった追悼の言葉でね、もう一皮むけるのを楽しみにしていたと・・・一皮むけたら、米朝さんの落語と枝雀さんの落語はもっぺん重なってたんですかね?どうなってたんですかね?」
「いや、そうはならん。そうはならんでしょ。重なったりはせんと思うけどね。・・・あれは私より大きい存在になるとずっと思うてたからね。」
「自分よりも、もしかしたら一皮むけて上に行くと」
「ええ」
「という意味ですか」
「それを期待してたんです、私は」

吉朝について
吉朝はやっぱり『同志』でしたからな。」
米朝さんゆずりなんですかね。」
「さぁ・・・あの男ももう、噺が好きでね、落語が好きで・・・まぁ、ゆずりかどうか分からんけど、いわゆる『同志』、おんなじ志を持った男でしたよ。」

吉朝の最期の高座について。
「本人は、もうまもなく死ぬつもりやったんやろな。私もなんとなくそう思うてたけど」
米朝さん自身もということですか」
「私自身も、これで死ぬやろうという気持ちはあったな。」
「そうですか。」
「場所忘れたけど、あいつのベッドから自分の部屋に帰って・・・私は寝る、その帰るときに・・・どう言うたかなぁ・・・向こうも。向こうも、長々ありがとうございましたと言いよった。」
吉朝を見送ったあと、米朝師匠は少し落胆した。
小米朝(今の米團治)のインタビュー。
「できなくなってきましてね。それで、その20分の噺でも、ちょっとこう、え、なんやったかなと忘れることがあって、まあでも、お客さんはそれでも、わっとこう受けてくれはるんですけども、まあそのときにうちのおやじはかなり焦って・・・」
ざこばのインタビュー。
「最初、びっくりしましたもん、あ、いよいよきた、てなもんやねぇ。そのときはもう客席向かれへんですよ、僕もう。師匠の手ぇ引いて、師匠、客席向いてはるけど、僕もう、こっちに袖に入ってくる、もう泣いてましたわ。」
奥さんのインタビュー。
「やっと跡継ぎができて育ってくれたのに、こんなことになるなんていうてね、唖然として、もう、半分泣いてましたな。」
小米朝米團治襲名は、ともすれば、ばらばらになりそうだった米朝一門が、希望の灯りをともそうとする努力だった。
思い返してみれば、無責任な観客のひとりであるわたしにしても、吉朝の訃報に接しては、これで上方落語は終わりだという気分にさえなった。
枝雀、吉朝はたしかに抜きん出た存在だったけれど、米朝一門でちょっと名を知られた噺家に、落語が下手な人はいない。雀々のできにときどきむらがあるくらいで。
小米朝ももちろんうまい。二世としておっとりとした味わいが特長だと思っていたので、米團治の襲名は励みになる一方でプレッシャーになることだろう。
ともかくも、米團治という古い名跡の復活は、しばらく淀んでいたかの上方落語の流れをまた導くことになった。
近況、もう米朝師匠はひとりでは舞台に上がらず、よもやま噺というかたちでお弟子さんたちと芸談義に花を咲かせるのだそうだ。
ふたたび米朝師匠のインタビュー。
「おんなじ志の、つまり同志というていい人間がたくさんできましたからな。安心してられますわ。落語は続きますやろ。」
「そういう安心感って今米朝さんの中でおありですか?」
「あります。もう、あとはこれが続くかどうかは、これは落語という芸の運命やな。」