トパーズ

トパーズ (角川文庫)

トパーズ (角川文庫)

われながら単純なのだけれど、「水の女」につづいて「トパーズ」を読んでみた。
中上健次との対談を読まなければ、村上龍が「トパーズ」を書くとき「水の女」を意識していたとはとうていわからない。
この二つの小説集が女性を描けているか否かについて何かをいえるわたくしではないが、ただ、女性という視点を獲得することは、近代の虚構性に対して有力な武器になりうるという予感はする。
富岡多恵子上野千鶴子が言っているように、戦前の共産主義運動や戦後の全共闘のときも、男たちは表でイデオロギーを唱えながら、裏では女たちに飯を作らせ、性欲の処理をさせていた。そして、運動が挫折するとけろっとした顔で転向して、すべてを美しい昔話に作り変えてしまう。
「俺たちが兵隊で大陸に行ったときは・・・」
「俺たちが全共闘で闘っていたときは・・・」
みたいな。
女の側から見ればそういう男の振りかざすイデオロギーが嘘でないはずがない。
それは輸入された文物としての近代の中だけで通用する「」つきの理想にすぎず、時代が変わればあっさりとうち捨てられたのだろう。時代を動かしている力はまったく別のところにある。
たぶん近代っていうのはそういう嘘が必要だった時代なのだろうと思う。だから、女子どももその嘘に付き合ってくれた。しかし、近代がすでに終わった今も、必要でなくなった嘘を振り回している男はかっこ悪すぎる。
あとがきには、彼女たちが必死で捜し求めているものは、具体ではなく思想なのだろうと村上龍は書いている。その思想が何かはわからないが、必死になって捜し求めているその姿を嘘をつかず写し取ることが村上龍の姿勢なのだろう。