野村仁 変化する相 − 時・場・身体

knockeye2009-07-06

桂雀三郎独演会で東京に出るついでに、国立新美術館で開かれている野村仁の展覧会に立ち寄った。
現代芸術やアヴァンギャルドもずいぶん古びた概念になって、この前の横浜ビエンナーレなどは、あたかも現代芸術という既成のジャンルがあって、そこに安住しているかのような作品も見られて、ちょっと退屈だったのだけれど、60年代のまだ生まれたてのころの現代芸術の作品にはアートとは何かという問いかけを改めて意識させてくれるものがある。
会場に流れている音楽があって、
「いかにも現代芸術ってBGMだな」
と思っていたら、そうではなくて「MOON SCORE」
という作品。
固定したカメラで毎日同時刻に撮った月の写真に五線譜をかぶせ、それを音楽にしたものだった。
もしかしたら、現代芸術っぽい音のルーツはここにあったのかなと思ってちょっと感慨深い。
同じような作品には、渡り鳥の連続写真に五線譜をかぶせたものもあった。(Gru’s score)
それから、展覧会のサイトにアップされている《正午のアナレンマ '90》

写真なの?絵なの?何なの?という感じだが、一年間定点観測して多重露出した正午の太陽なのだそうだ。
展示の説明版には、「もし、あなたの網膜に太陽の残像が一年間残り続けたらこういう風に見えるはずです。」
みたいなことが書いてあった。
こういうのってたとえばウユニ湖の絶景みたいなことと同質の感動で、そういうことが、気づかないだけで、実はふつうに自分たちの頭上で展開しているということを、こうして写真で見せられるとあらたな驚きがある。
もっとすごいのは「北緯35度の太陽」という作品があって、魚眼レンズで日の出から日の入りまでの太陽の動きを写真に写し、それを一年分つなげるとどうなるか。
こういうことって天文学者にとっては常識なのだろうか。素人としては
「ええっ!こうなるの?」
という感じ。
作品名がはっきりしないのだけれど、CDに収められた15分ほどの作品がヘッドホンで聴けた。雀三郎さんの独演会が後に控えていたので全部は聞けなかったのだけれど、これは目に見えるものを全部言葉で描写しようとしていた。
ムスタングが停まっています」
とか、
「その後ろに歯医者の看板があります」
みたいなことを延々と言葉で描写している。
線や面や色を使わなくても、イメージを言葉で伝えることは確かに可能で、その時に詩人のような装飾的な言葉を使わず、平易に正確に描写していくというのはこれはすごく面白いと思った。
「1000万年の接木」という作品は、巨木の化石を楠木の切り株に接木していた。