島田紳助をめぐる様々な文章が飛び交っているが、ほとんどが警察のリークを垂れ流しているだけだとすれば、鈴木宗男や村木厚子のころから、報道姿勢を改めないマスコミにこそ注意しておくべきなのだろう。
その意味では、やはり、小林信彦の文章は、他と次元が違う。なにより、芸人を評する態度がまっとうなのだ。それはやっぱり、このひとはホンモノの江戸っ子なんだなと妙に納得してしまうことだった。
どこかで見かけた誰かの文章には、‘島田紳助的なるもの・・・’みたいな大仰な表現を見かけたけれど、芸人のことにそこまで書くのはやっぱり野暮なので、善くも悪くも、それは態度として‘いなかもの’のやることだろう。
横山やすしが吉本を辞めさせられた頃の報道を、大阪から見ていたときも同じように感じた。そもそも大阪では、どんなに売れた芸人でも、雲の上まで持ち上げたりしないし、一転不遇の時に踏みつけたりもしない。‘やさしい’ということじゃないわけ。こどものころから‘芸人は芸人’ということを肌で知っているんだと思う。
今週の週刊文春には、ビートたけしが暴力団とのことをいろいろ語っているが、彼自身も
「何度も右翼団体から街宣活動をかけられたことがあった」
そうだ。
フライデー襲撃事件のときには、
「一人で住吉の堀さんのところに行って、土下座してあやまったの。・・・」
街宣活動をかけていた右翼団体が住吉連合会の最高幹部によって結成されていたためだそうだ。
で、庶民としては素朴な疑問が芽生える。街宣活動をしている右翼団体が暴力団と関係があるなら、その街宣活動の標的にされている芸能人を警察は護ってくれないのかっていうこと。
暴力団と交遊のある芸能人は社会的に抹殺されるが、暴力団そのものが結成している右翼団体は野放しって、それはどうなの?
警察がホントに庶民を護ってくれるなら、誰も暴力団をたよらない。その意味では文字通り、警察は‘えげつない’わけ。警察に全幅の信頼を寄せているっていうのも、たしかに‘いなかもの’の特徴なんだろう。