織田一磨と歌川国貞

knockeye2014-03-18

 日曜日は町田の国際版画美術館に出かけた。
 よく晴れていたし、芹が谷公園なんか歩いてみても気持ちいいんじゃないかなと思った。
 ところが、有田芳生の呼びかけに応じなかった報いなのか、美術館に入ったとたん、なにかが来た。
 わたしは、スギ花粉症ではないが、なにかの花粉症ではあるらしい。病院に行けば判明するはずだが、天気予報で知らせてくれるのは、どうせスギ花粉の飛散状況だけなんだから、何の花粉症かわかったとしても、「で?」ということだし。
 美術館に入るまで平気だったのが、チケットを買うあたりでは鼻の奥がつーんと来て、受付嬢の表情を見るかぎり、どうやら鼻水が垂れかかってる様子。
 いちばんひどかったのは、「織田一磨の版画 大正・昭和の都会風景」の展示室だった。
 昭和のはじめごろの日本に、自由で明るい雰囲気が確かにあったのではないか、それを「お国のため」とか「滅私奉公」とかいう言葉にだまされて、うっかり手放してしまったことが、そのころの日本人の最大の過ちだったと思えてきていて、昭和のその頃の絵と聞くとつい出かけてしまう。
 吉本隆明の『マス・イメージ論』の「停滞論」に『窓際のトットちゃん』を論じた箇所がある。

 現在ではすでに作品の主人公「トットちゃん」が体験したような、節度ある教養のようなリベラリズムの教育理念も、家族の躾けの紐帯もほとんど不可能になっている。その根本的な理由は、現在まったきリベラリズムの基礎である市民社会が、あえぐように重くのしかかっている国家の管理と調整機構のもとに絶えずさらされてしか成立しなくなっているからだ。
(略)
もちろん『窓際のトットちゃん』は、いまは過ぎ去って二度と戻ってはこないような、まったきリベラリズムの教育や、躾けの理念を懐かしむ追憶によって現在のイメージの停滞に拮抗しようとしているのだ。これが膨大な読者を魔法のように惹きつけるとしたら、膨大な読者もまた、じぶんの自由にならない場所から吹きつけてくる抑圧の噴流に悩まされ不安になり、どこかに安息の場所を求めていることに、当然なるのだが。

 織田一磨と併せて、「三代豊国と歌川派」も展示されていたので、ちょっとのぞいた。
 ただ、そのころはもう、花粉症が耐え難い症状になっていた。
 三代豊国とは歌川国貞のこと。国貞が豊国を襲名するいきさつには、なにかしらうさんくさいものがあったそうで、二世豊国を名乗っていた、初代豊国の養子、豊重が亡くなったあとに、国貞は、どういうわけか、また、二世豊国を名乗った。今、三代豊国と呼ぶのはまぎらわしいからだ。豊国にふたりいた奥さんの、意地の張り合いという背景があったらしいが、豊国門下で実力ナンバーワンと目されていた国貞としては、豊重が自分をさしおいて、二世を名乗ったことにわだかまりがあったのではないか。しかし、江戸っ子らしくはないやね。当時の江戸っ子たちは、
「歌川をうたがはしくも名のり得て、二世の豊国にせのとよくに」
狂歌に詠んだそうだ。
 そう思いつつ見るせいか、花粉症のせいか、どこまでも初代豊国のコピーにすぎないと見えてしまう。豊国の枠を超えようとしていない。絵というよりはずっと記号に近く、女はこう書く、役者はこう書く、景色はこう書く、というテンプレートをあてはめただけ、みたいな感じがした。
 同じ初代豊国の門下でも、国芳の奔放さとはくらべるべくもない。国貞は、浮世絵とはこう書くものという固定観念から逃れられなかったという気がする。

マス・イメージ論 (講談社文芸文庫)

マス・イメージ論 (講談社文芸文庫)