「ジゴロ・イン・ニューヨーク」

knockeye2014-07-25

 この週末、2本映画を観るつもりにしていたけれど、これの後味がよすぎて、もう一つの方はパスしてしまった。
 ウディ・アレンが自分で監督しない映画に出るのは14年ぶりだそうで、監督したのは誰かというと、主演のジョン・タトゥーロ。脚本も彼自身なんだけれど、初稿の段階でウディ・アレンに見せたら、「映画としてはまだ完成していないけれど、可能性はある。僕のキャラクターの描かれ方はすごく好きだ」といってもらって、そのあと何度も書き直したそうだ。
 じっさい、ウディ・アレンが演じた‘もと’古本屋の店主マーレーが実に魅力的で、「ありえないかな?、でも、あるかも」っていう感じの展開を、軽やかなトークでケムにまいてゆく。
 映画は、マーレーが親の代から受け継いだブルックリンの古書肆をたたむところから始まる。ジョン・タトゥーロ演じるフィオラヴァンテはその手伝いに来ている古なじみだが、仕事といえば最近、花屋でバイトを始めたばかり、知的で教養はあるけれど生活力はない、都会的といえば、たしかにそう言えるタイプ。
 マーレーはフィオラヴァンテにこう持ちかける。
「僕のかかっている歯医者はレズビアンなんだけれど、いちど男を交えてやってみたい、誰か知らないかっていうんだ、それで、ひとりいるけど1000ドルかかるよって言ったんだ。そのとき思い浮かべてたのが君なんだよ」
 この辺の設定のぶっとび方は絶妙。とうぜん、そう言われた主人公は‘ええっ?’ってなる。観客もとうぜん‘はあっ?’てなる。その時点で観客はもう主人公に感情移入してしまっているわけ。
 もちろん、これを絶妙にしているのはウディ・アレンの語り口で、「どうしてそんな、歯医者とそんな会話が成立するの?」ていうあたりのもやもやは、後に出てくるユダヤ教のラビの未亡人、アヴィガル(ヴァネッサ・パラディが演じている。フランスの女優で歌手、挿入歌も一曲歌っている)と交わされる、なんとも人を食った話術で、「ああ、こういうことね」と納得がいく。
 このへん、劇場でもかなり客が沸いた。わたしは字幕を観て笑ってるんだが、ちょっと早いタイミングで笑っている人たちは、英語を聞いて笑ってるんだろうね。でも、英語がわからなくても、にじみ出てくる人柄で70%くらい笑える。もう噺家さんの域だと思うね。
 その会話の中でアヴィガルのいう「acid」という言葉を「ハシディック」と聞き間違えるところがある。彼女はユダヤ教のなかでも最も厳格なハシディック派のラビの未亡人なわけ。
 ここがこの映画のひねりなんだな。
 ところで、最初に話していたレズビアンの女歯科医、これを演じるのがシャロン・ストーンなんだけど、この描かれ方がすごくよかった。マーレーが話していたのとはビミョーに違う気もするのだけれど、大人で、チャーミングで、揺れ動いていて、難しいというなら、難しい役なんじゃないかと思う。さすがな感じ。つうか、かっこいい。
 これがあるんで、主人公とアヴィガルの恋の顛末が生きるんですよね。かといって、引き立つって言う、対照的な描かれ方ではない。だから、難しいし、いいんだ。
 まるで「ローマの休日」みたいに進展していく主人公とアヴィガルに対して、マーレーの方はどんどんコミカルになっていく。その感じもすごく面白かった。
 音楽もいいし、最後にきれいに幕を引いてくれるのもいい。だから、後味がよくて、今日はもうこれでいいやって感じになった。
 ちなみに、ハシディックに関しては、「ニューヨーク、アイ・ラブ・ユー」で、ナタリー・ポートマンが演じていたあれがそうだったんだなって、今になって気がついた。あれもいい映画だった。

ジゴロ・イン・ニューヨーク

ジゴロ・イン・ニューヨーク