「葛城事件」

knockeye2016-06-18

 赤堀雅秋監督の「葛城事件」。この監督は、日本では少し珍しいかもしれないジャーナリスティックな感性を持っている。といっても、マイケル・ムーア的ではなく、例えて言うと、「扉を叩く人」「スポットライト」のトム・マッカーシー監督の姿勢に似ている気がする。前作の「その夜の侍」でもそうだったが、現実の事件を一度解体した後、もう一度「身体化」してみようと試みるようだ。
 というと、抽象的に聞こえるかもしれないが、この人自身、劇団を主宰しているそうなので、無差別殺傷事件の犯人とその家族を、現実の役者に演じさせてみるとすれば、身体的に理解せざるえないはずだ。
 もちろん、生身の役者が演じれば、それだけで「身体的」な理解ができると言っているのではなく、ある思考を表現しようとするとき、あくまで、ひとつの身体を通じて表現しようとすることで、思考が現実から乖離してゆくことを避けられているのではないかと思う。
 今回の「葛城事件」も、三浦友和が演じる抑圧的な父親が話題になっているが、「みんなあのお父さんのせいよ」というような、ワイドショーのコメントみたいなことなら、映画化のプロセスすべてが無駄だろう。
 わたしには、そのように「お父さんのせい」に見えてしまう「父性」神話、あるいは、今回は南果歩が演じたお母さんが「よくない」と思わせるような「母性」神話が、おそらくは、それが神話にすぎないとは、誰も気がつかないほどに根深く一般化しているために、ひどく深く社会を歪ませていると思う。
 連続殺傷事件の犯人である、葛城家の次男と獄中結婚をする、田中麗奈の演じる女性が「私は人間に絶望したくない」と叫ぶ「人間性」信仰は、「父性」、「母性」信仰より浸透していないので、田中麗奈の言葉は浮わついて聞こえる。だが、これが西欧社会でもそうかどうかは、ちょっとわからないだろうと思う。
 何年か前、次長課長の河本の母親が、生活保護を受けていることで批判されたことがあるが、NEWSWEEKのフランス人コラムニストは、「え?何が悪いの?」っていう反応だった。その社会の基礎となる単位は、それぞれの社会で違う。夫婦であったり、兄弟であったり、家であったり、部族であったり。日本の場合、社会のイメージは、親子関係に基礎があるだろう。たとえば、クマが冬眠から目覚める季節に子供を森に置き去りにしても「躾けだった」と言えば通る。
 安倍政権の長期化や、日本会議の跳梁跋扈を指して「日本の右傾化」という言説がまかり通っているが、何度か書いたように、わたしはその理解は正確でないと思っている。『日本会議の研究』を書いた菅野完も「日本の右傾化」には疑義を唱えている。
 また、吉本隆明が、「転向論」で、近代日本の「政治思想の架空性」を指摘しているし、坪内祐三冷泉彰彦も、日本の左右両陣営の政治思想や経済政策が、国際的な左右のあり方に対して、奇妙にねじれていることを指摘している。国粋的な団体が標榜しているのが外来思想であったり、右派的な政権が左派的な経済政策をとったり。
 左右がねじれていることの何が悪いのかといえば、本来ちがうはずのものが同じであるとすれば、対位されるべきものが対位されていないということだから、そこには変化の可能性がない。それでは、国民が政治に対して、yesもnoも示すことができない。そのねじれがyesをnoに、noをyesに転換してしまうからである。その左右のねじれは民主主義の根幹に関わっている。
 わたしの推論では、おそらく日本人は、西欧の左右の思想の対立を、父性と母性の対立と混同している。父性的なことを右派的、母性的なことを左派的ととらえているのではないか。そのため、議論が感情的になりがちなのではないか。また、河合隼雄が指摘したように、日本はどちらかというと母性社会であるため、父性が未熟で幼稚である。そのため、父性が暴走しがちなのかもしれない。
 「その夜の侍」に続いて、新井浩文がよい。途中まで、この人が主役なのかなと思っていた。その可能性もあったんじゃないかなと思う。ひとりくらいサバイバーがいてもよかったと思ったが、赤堀雅秋は、誰も外部に立たせたくなかったのかもしれない。視点が誰かの目に固定されていない。そして、誰もいなくなったが、ひとりも外には出られなかった。そんな閉塞感も、情緒的でなく、正確だと思う。
 言い忘れないうちに重箱の隅を突いておくが、BGMがひどい。あれなら全部ない方がよいと思う。「レヴェナント」で音楽を担当した坂本龍一のインタビューで、映画を観た人の感想で一番嬉しかったのは「どこで音楽がかかってましたっけ?」というものだと語っていた。映像と音楽が一体化していて、音楽が鳴っていることに気がつかない。今回のBGMはその対極にあるだろう。耳障り。
 それから、これは、まったくどうでもいいことを付け加えておくと、あの無差別殺人の現場、本厚木の地下道じゃないですか!。あそこをもうちょっと奥に行くとアミュー厚木で、9Fに映画館があります。お越しの節は参考に。