「二つの祖国で」

knockeye2016-09-02

 もう先月の20日の話なんたけど、アミュー厚木の映画ドットコムシネマで「二つの祖国で」っていうドキュメンタリー映画を観た。
 MIS(ミリタリー・インテリジェンス・サービス)っていう、アメリカ陸軍の秘密情報機関の根幹を担った日系二世の兵士たちの話。
 そんなもんが存在してたことすら知らなかったんだけど、それも無理がないのは、長い間その存在自体が、国家の最高機密として極秘扱いだったそうです。
 日米開戦のかなり前から、アメリカは対日戦争に備えていた。その情報戦略のひとつとして日系二世、特に「帰米」と言われる、二世の中でも、いったん帰国して日本の教育を受けて、再びアメリカにもどった人たちが、活動の中心となった。
 MISがどれほどの効果があるか、米軍の上層部は最初は半信半疑だったらしい。しかし、結局、実績で認めさせた。そういうあたり、日本人らしくもあり、アメリカらしくもある。
 「われわれには『大和魂』があった」っていうんです、ジョージ・フジモリって人なんだけど、80キロも行進したんだけど、われわれには脱落者はいなかった、「米国兵もいたんですが、彼らは次々脱落していきました」
 義理の息子さんがリチャード・ホーキンスっていう役者さんで、一緒にインタビューを受けてたんですけど、
「ちょっといいですか?。『米国兵』っていうけど、自分も米国兵でしょ?」
「言葉の綾だよ」
「米国兵が誰を指すか説明が必要だよ」
「白人兵さ」
「で『白人』は誰のこと?」
「米国人さ」
この辺のナショナルアイデンティティのあり方がすごく面白いと思った。祖国が二つあるって矛盾してるかっていえば、そんなことはないっていうのは、現にこういう人がいるんだから。ネーションって個人の属性なんでしょうよ。個人が国に属してるんじゃなく、国が個人に属してる。だから、ふたつもみっつもいくつでも人は心に祖国を持てますよ。
 言い方を変えれば、祖国はどこまでも個人的な感慨にすぎないんだから、愛国心だなんだって、他人にとやかく言われる筋合いないわけよ。
 インタビューを受けている元MIS兵士の中で、日本に上陸して真っ先に靖国にお参りしたっていう人がいた。靖国にお参りって言葉が、こんなに切実に、慰霊の響きを持って発せられるのを初めて聞いた気がした。テレビカメラの前で徒党を組んで参拝するあいつらには感じたことがない響きだった。でも、さっき言ったように、それは「彼の」祖国であって、祖国という言葉にも、個人の品性が反映されるわけでしょうよ。
 声高に主張されてはいないが、MISの一番の功績は、沖縄の人の集団自決を未然に防いだことだと思う。沖縄に上陸した米軍の中に、MISのメンバーがいて、1000人近い人を集団自決させずに、隠れていたシムクガマという洞窟から連れ出した。実際、他の洞窟では、集団自決が強要されたわけだから、ひとつ歯車が狂えば、ここもそうなる可能性があった。インタビューからも現場の緊張がうかがえる。
 米国兵としても洞窟の中にいるのが非武装民なのか兵士なのかわからないわけだから、間に立ったMISの人たちの緊張感は大変なものだったろうと思う。
 原爆投下が戦争の終結を早めたかどうかは、今でも議論があるそうだが、MISの存在は終戦を2年早めたと言われているそうだ。