fantasy based on facts

knockeye2016-10-05

 先日、「慰安婦問題はfantasy based on factsだ」と書いたが、たまたま(まるで「意味のある偶然」のように)、朴 裕河氏の「元慰安婦の方たちとの出会い」という記事が、ハフィントンポストに載った。
元慰安婦の方たちとの出会い | 朴 裕河 元慰安婦の方たちとの出会い | 朴 裕河
 元慰安婦の支援団体は、元慰安婦の情報をコントロールして、自分たちのストーリーに沿った情報だけを発信している。私のボキャブラリーでは、そういうことをプロバガンダというのだけれども、何か間違ってますか?。
 慰安婦問題は、人権問題をよそおって、日本人に対するヘイトを叫べる、マニア垂涎の装置だろう。
 しかし、まあ、そこに反応するのは、私の中のナショナリズムなのもホントだろう。
 問題は、そういうナショナリズムこそ、戦後、長い時間をかけて、世界が克服しようとしてきた、まさにそのことではなかったのか?、ということ。そういうナショナリズムが、世界を戦争に導いて行った、原因のひとつだと、世界が認識を共にしていたはずだった。
 だから、元慰安婦の証言や慰安婦をめぐる証言の、ウソは許してはならない。fantasy based on factsのfactsにだけ向き合って、fantasy には、とりあってはならない。
 わたしには、日本のリベラルやフェミニストは、fantasy に別のfantasy を被せているように見える。彼らの自前のfantasy もなかなか強力なので。
 元慰安婦支援団体の、朴 裕河氏に対する態度は、慰安婦問題のfantasy の部分を露わにしている。韓国人は、国家として、第二次大戦を経験していないので、ナショナリズムに鈍感でいられるのか、あるいは、肯定的でさえいるのかもしれない。しかし、その道の行く先には奈落が待っている。繰り返すけれども、それが戦後世界の共通認識だったはずである。