アフタースクール その二

映画『アフタースクール』公式サイトのスタッフノートによると、内田けんじ監督が、この脚本に取り組み始めたのは、『運命じゃない人』公開直後、2005年夏だったそうだ。

「いくつかのプロットが出ては消え、「アフタースクール」の原型となるプロットが上がってきたのは2006年の2月のこと。そこから本格的な脚本作りが始まった。

観客を驚かせる構成と、内田監督の伝えたい想いのバランスをとるのがむずかしく、一時は2時間半を越えるであろうという状態に。まさに生みの苦しみの真っ只中。そこで監督の中で「何がこの作品の一番の魅力となり、観せたいものなのか」を立ち返る作業があり、前進し始める。

そして、クランクイン一ヶ月前の2007年5月、スタッフも驚く、それまでの設定を大胆に転換させた脚本があがってきた。この2年間、この作品の何稿もの脚本を何度も読んできたにもかかわらず、そこには新しい感動があった。」

「・・・この2年間、この作品の何稿もの脚本を何度も読んできた・・・」
「この」と「何」が二回出て来る。
この映画を作り上げたスタッフの自負が感じられる。
大泉洋堺雅人佐々木蔵之介というキャスティングも絶妙だ。最初からこのキャスティングが念頭にあったのではないかと思えるほどだ。ケミストリーが働いて、各人のキャラがよく引き立っている。
特に、「二枚目でミステリアスな存在として物語を引っ張っていく木村役」となっている堺雅人は、他のブログでも触れられているようだが、おいしいよねぇ。
佐々木蔵之介については、別れたとはいえ、小野真弓と付き合ってた男なので、うらやましさが先に立つ部分があったが、こういうちょっと汚れて、やさぐれた感じの役をやると存在感がある。探偵役とかになると、ステレオタイプになりがちだが、そうならずに厚みがある芝居になっていた。
ところで、もしかしたら気がついた人がいるかもしれないが、昨日の記事の中に、勘違いを発見したので削除しておいた。所詮ブログなので、大概の間違いはそのままにしておくのだけれど、封切りしたばかりの映画なので、鑑賞のジャマになってはいけないという配慮。
ちなみに、「一日に凝縮されている」と書いたが、二日の間違いだった。二日でないと話がおかしい。
あまりにもあざやかにひっくり返されるので、観終わった後、もう一度最初から観たくなる。たぶん、二回目の鑑賞では、最初から笑いが止まらないだろうと思う。