寛恕の季節

knockeye2009-02-08

るーはだね。
天気予報は今日寒くなると言った気がしたが、昨日よりも暖かくなった。ぬけるような青空。
念のためにかぶったニットキャップがちょっとうるさく感じられた。
「失敗した」と言いながら、こないだ買った春色のダッフルを着て出かけている。ライディングウエアというんじゃないし、少々縫製がやわなのは仕方ないだろう。煙草臭いと思ったのは多分ムスクなのだ。
海老名のJRの駅は小田急や相鉄とはずいぶん雰囲気が違う。
吉田健一が酔って乗り過ごして、厚木でうどんを食ったころは、こんな感じだったんだろうなと思わせるたたずまいである。
JR相模線の電車は、ドアが自動じゃない。開閉ボタンで開け閉めしなくてはならない。ちょっと北陸本線を思い出してしまう。あそこはほんとに手で開け閉めするのだけれどね、障子みたいに。
どこへ出かけたのかというと八王子。八王子夢美術館というところ。それで、私これをよくやるのだけれど、たどりついたら閉館していた。まだ会期前だった。ネットで事前に調べてこれだからね。
まあよいのだ。どうせ春に誘われただけだから。伊東静雄のことばを借りれば「寛恕の季節」。

寛恕の季節

まず病者と貧者のために春をよろこぶ
下着のぼろの一枚をぬぐよろこびは
貧しい者のこころにしみ
もつとものぞみのない病人も
再び窓の光に坐る望みにはげまされる
國立病院の殺風景な廣い前庭には
朝を待ち兼ねて
ベンチの陽にうずくまる人を見る
ぐる/\ぐる/\驛前の燒跡の一畫を
金輪をまわし際限もなくめぐる童子
金輪は忘我の恍惚にひかつて
行きすぎる群衆の或る者を
ふとやさしい微笑に誘う
よごれた鷗が飛ぶ のろく橋をくぐつて
街の運河のくさい芥の間に餌を求め
やがて一ところに來て浮ぶ四羽五羽
水に張り出したバラックの手摺から
そつちに向けて二人の若者が
トランペットの練習をしている
不揃いの金屬音の響きは繰り返し
この寛恕の季節のなかを人々は行き交う
そして遠く山間や平野の隅々に
まだ無力に住み殘つた疎開者たちは
またも「模樣」を見に
もとの都會に一度出かけてみようと思う

JR海老名駅のホームから、だだっぴろい駐車場が見えるが、その片隅に焼きそばとかカレーとかの屋台があるのに気が付いた。そこから、バックストリートボーイズかなにかがあけっぴろげに流れてきていた。