長谷の紅葉

knockeye2009-11-28

朝まで生テレビを見てしまったので、このところにはめずらしく朝寝坊してしまった。
ブラインドを開けるとすごくいい天気。カメラを持って、とりあえず出かけた。
鎌倉の紅葉が季節を迎えているだろうから、とりあえず藤沢に出て江ノ電に乗った。
晴れた日の午前の江ノ電はいい。ほんとうは立って運転席の後ろに陣取りたかったけれど、ちょっと大人気ない気もするし、せっかくすいていたので座っていった。
駅名でいうと‘江の島’から‘腰越’、‘鎌倉高校前’、・・・と続くあのあたりは電車に乗っていてほんとに楽しい。今日は海を背にして座っていたのだけれど、向かい側の窓に映る海を見ていた。着ていたセーターはすぐに脱いでしまわなければならなかった。
特に行き先を決めていなかったので、思いつきで‘鎌倉’のひとつ前の‘長谷’で降りて長谷寺。海の眺めがいいのだ。

今日いちばんびっくりしたのは、とんび。とんびが観光客の食べものを狙うらしく、注意を促す看板が出ていたのだけれど、それにしても今日のとんびはずいぶんと低空飛行で、背の高い人ならつかみ取りできたのではないかと思うほどだった。この前見た広重の絵を思い出した。
紅葉は少し盛りを過ぎつつある。


と、気がついたのも帰って写真を点検した後だった。
結局のところ、一眼レフに較べるとコンパクトカメラはファインダーが弱い。液晶モニターでは露出がわかりにくいし、カメラメーカーは、ファインダーをのぞいたときの感動をもっと大切にした方がいいと思う。赤瀬川源平が書いていたと思うが、ライカのファインダーは‘見え方が美しすぎて、シャッターを押すのを忘れる’ほどなのだそうだ。
しかし、いくらなんでも出かけるのが遅すぎたのも事実だった。秋の日はあっという間に暮れる。
鎌倉駅近くの妙本寺の山門を訪ねたころにはすでにシャッタースピードが厳しくなっていた。


鎌倉から長谷の一駅、江ノ電はバカみたいに混む。大仏を観にいく観光客だと思うのだけれど、この一駅なら歩いた方がむしろ快適だと思う。
今日もいつもどおり鎌倉珈琲香房でチーズケーキとコーヒーを頼んだ。
こういう旨いコーヒーを淹れられる人は、これだけで一生暮らしていけて当然だとあらためて思った。
おいしいコーヒーを淹れられるということはどういうことなんだろうかと考えてみていた。才能なんだろうか、それとも艱難辛苦の末に手に入れた職人技なんだろうか。いずれにせよ、旨いコーヒーを淹れられるということがその人の人となりを表しているのはたしかなことで、きっとそれが一番大事なことなのかもしれない。あの店に行きたいなと思う店とそう思わない店は自然に分かれてくる。
帰りの江ノ電は、意味もなく江の島で降りた。
展望台でも上ろうかと思ったのだけど、ちょっと暗くなりすぎ。参道を少し歩いただけで帰った。