今週の立花隆

今週の週刊文春立花隆の「文春図書館」がキナ臭い。‘まっ黄いろ’だといってもいい。
『朴正熙の時代 韓国の近代化と経済発展』という本を紹介してこう書いている。

・・・一言でいうなら、この奇跡を可能にしたものは、若くて優秀な官僚をどしどし育成抜擢して彼らに大きな権限を与え、大胆な施策を次々に展開していったエリート主義だ。絵に描いたような官僚主導型の国家資本主義体制なのである。
(略)
強力な軍事政権が、この経済計画を推進するテクノクラート官僚を百パーセント庇護した。だから社会のいかなる階層からも妨害が発生せず(民主主義抑圧で抵抗運動は発生)、計画は予定通り進行し、・・・

日本が16年、西ドイツが11年かかった百億ドル輸出体制の達成に、韓国は7年しかかからなかったことをあげたあと、

 いってみれば、これは日本の軍部と革新官僚が結びついて作り上げた戦争中の国家総動員体制が、そのまま現代に延長されたような国家だったのである。
 日本の戦後の急速な経済成長も、軍部抜きの経済官僚たち(経企、通産、大蔵)が奮闘して作り上げたものだ。鳩山民主党政権は官僚を諸悪の根源視してひたすら官僚の力を削ぐことに狂奔しているが、・・・
(略)
粗悪な政治家による政治主導国家と官僚主導国家のどちらが恐ろしいかよく考えねば。

なお、件の本は‘東京大学出版会’てふところの出版で、著者名はつまびらかにしない。
立花隆は、去年の西松事件のときも、そしてその後も、一貫して検察側にたった発言をしている。
小沢一郎を批判するのはまっとうなことだ。わたしも小沢一郎について不審に思うことは多々ある。
しかし、西松事件以降の東京地検特捜部の行状について、ジャーナリストとしての批判精神がまったく刺激されないのだとしたら、疑惑の目を向けられたとしてもしかたないだろう。
加えて、上記の文章である。
「日本の軍部と革新官僚が結びついて作り上げた戦争中の国家総動員体制が、そのまま現代に延長されたような国家」

「奇跡を可能にした」
と書いている。
「鳩山民主党政権は官僚を諸悪の根源視してひたすら官僚の力を削ぐことに狂奔しているが、」
「民主主義抑圧」
であっても
「社会のいかなる階層からも妨害が発生」
しないようにして
「官僚を百パーセント庇護」
する
「官僚主導国家」
が韓国の経済発展を生んだんですよ、と書いているように読める。というか書いている。なにがいいたいのだろうか。
「日本の戦後の急速な経済成長も、軍部抜きの経済官僚たち(経企、通産、大蔵)が奮闘して作り上げたものだ。」
と書いているが、立花隆の目には、その時代、身を粉にして働いていた国民の姿はまったく映っていないらしい。
奇しくも同じ週の「週刊スパ」に掲載された、佐藤優の緊急投稿を、もういちどめくってみずにいられなかった。
佐藤優は、石川知裕議員と逮捕直前まで連絡を取り合っていた。その緊迫したやりとりが報告されている。
そのやりとりを紹介した後に

 官僚は、口には出さないが、国民のことを無知蒙昧な有象無象と思っている。そしてこの有象無象から選挙された国会議員は、無知蒙昧の塊くらいにしか思っていない。

検察官を含む官僚は、国家を支配するのは司法試験や国家公務員試験のような難解な試験に合格したエリートだと考えている。官僚は国民に対して忠誠を誓っていない。明治憲法下の「天皇の官僚」という意識が今も残っている。より正確にいうと、天皇が抜け落ちた抽象的な日本国家に対して官僚は忠誠を誓っている。

石川議員は検察庁の建物に入る直前、
「『優さん、ほんとうにお世話になりました。闘います』と伝えてください。」と弁護士に伝言を託したそうである。
いっておくけれど、石川議員は小沢一郎のために闘っているのではない。そのことは考えておくべきだ。
この佐藤優の文章と、立花隆の文章を読み比べると感慨深い。
以前に、野口悠紀雄の『1940年体制』を紹介した。

1940年体制―さらば戦時経済

1940年体制―さらば戦時経済

あの本を読んだ人なら、この二人の文章から、いろいろなことが読み取れるはずだ。
立花隆のいう
「日本の戦後の急速な経済成長」
についての彼の分析は、その部分は部分として正しい。
しかし、彼が見落としているのは、その時代が‘終わった’という点だろう。
その時代は終わった。しかも、とっくに終わった。そしておそらくかれ自身も、その時代に属しているのだろう。