龍峰寺

knockeye2010-04-04

朝からうすらさむいくもりぞらで、いっきにモチベーションが下がり、出ぐずってしまった。
そうなるとあとはもう惰性で、笑っていいともの増刊号などうつらうつら見ながら、気がつくととっくに午後という、そういう日曜日のすごし方になってしまう。
その間、陽射しがもどる気配もなく、むしろどんどん寒くなっていくようす。
メタリックでモノクロームな気分なので、恵比寿にジャンルー・シーフでも見に行くかなと思いながら結局行かず、けだるくすごしてしまった。
こないだ相鉄の海老名駅でもらったパンフレットに、このあたりの散策コースが出ていたのを思い出して、やっと出かけてみたのが、瑞雲山龍峰寺というお寺。
かつては寺の境内だったろうあたりが公園に整備されている。
神奈川県のこのあたりは、わたしが今まであまり経験したことのない、丘隆地帯というのか、土地の起伏が景色にドラマチックなパースペクティを与えている。
公園にまで坂を上ると、桜越しに海老名の町が一望できる。日曜日ということもあって、花見やバーベキューに興じている人も多かった。           
それでも、この春の寒さはあまりないものではないだろうか。花の写真を撮っている間に手がかじかんでしまった。
くもりぞらに桜もいいものだと思ったけれど、まだ若いらしい花海棠がちょうど見ごろを迎えていた。
花海棠は、蕾のときの紅の色が、花びらが開くにつれて淡くなる。
この花海棠は来週にはきっと散っていると思って少しがんばって撮影した。



買い換えるカメラをあれこれと迷っているうちに、気がつくと、わたしの使っているFZ−5というカメラはそうとうな年代ものになっている。いまなら何に買い換えてもこれよりも写りがいいだろう。
とくに偽色は気になるけれど、これも味と思えばいいのかなという気になってきた。絵には絶対に存在しない写真に特有なボケを‘ボケ味’という言葉で最初に表現した人はエライ。「謳うようなリングボケ」とか。
ボケ味が存在するなら、偽色味、収差味、ゴースト味、フレア味・・・もありうるわけだ。
しかし、最高の偽色味を追求するより、偽色の出ないカメラを追求するほうが簡単だというだけである。
ところで、弥生神社の参道はけっこうな巨木の桜並木だ。桜という木は花が咲くとこんなところに桜があったっけというほど見違える。