絵と詩が同じ画面ににあるのは、けっこう古くからのことだが、今でも惹きつける魅力があるし、絵本の人気の定着を考えると、詩画集というメディアはこれからもっと受けいられていいかもしれない。
特に版画は詩と相性がいいらしい。たとえば、萩原朔太郎の詩とともに、恩地孝四郎の版画を思い浮かべない人は少ないだろうと思う。
ポスターに使われているのは、ジャン・コクトーが描いたアルチュール・ランボー。
ジャン・コクトー、ジャン・アルプ、ジョルジュ・ブラック、マックス・エルンスト、ヴァランティーヌ・ユゴー、アルベルト・ジャコメッティ、ジョアン・ミロ、パブロ・ピカソが、それぞれ描いたランボーの肖像。これは、1962年に『アルチュール・ランボー』と題して刊行されたものだそうだ。
ロートレアモンの『マルドロールの歌』は、1934年のサルバドール・ダリとは別に、1952年に刊行されたベルナール・ビュフェのドライポイントが多数展示されていて、ちょっと儲けた気がした。
おなじくロートレアモンの『ポエジー』に寄せられたハンス・ベルメールのリトグラフがエロティック。裸体画は白黒のほうがエロく見えるのはなぜなんだろう。原始的な衝動に訴えかけられる気がする。
パトリック・コールフィールドという人の『ジュール・ラフォルグの詩』という22点のスクリーン・プリントが強く印象に残った。とくに<たそがれの空に>という作品には虚を突かれた感じで、何かのスイッチがはいって、一瞬自分の背後に黄昏が迫っているように感じた。あの色に<たそがれの空に>というタイトルをつけられると、それまでの流れもあるし、ことばと絵が共鳴する成功例のひとつなんだろう。
常設展には長谷川潔の小特集があり、<水浴の少女と魚>など、初期の官能的な女性像や、転換点になった<一樹(ニレの樹)>、それにマニエル・ノワールの静物も割合に多く展示されている。
フランスの詩と版画のほうはもう終わりだけれど、長谷川潔は9月25日まで。