「戦争・版に刻む記憶」、「写狂老人A」

knockeye2017-07-08

 町田市立国際版画美術館で、「戦争・版に刻む記憶」展が始まっている。7月23日までと会期が短いのが残念。
 ジャック・カロが三十年戦争を描いた『戦争の惨禍』、ゴヤ半島戦争を描いた『戦争の惨禍』、そして、オットー・ディックスが第一次大戦を描いた『戦争』が展示されている。
 最近、急に増えた気がする、これも撮影OKの展覧会。ペイするかどうか分からない図録を刷るより、来場者に撮影してもらってインスタにでも上げてもらったほうが、ってことなのかも。特に、この展覧会はほぼ館蔵品のようなので。
 しかし、今回は途中でカメラを構えるのが辛くなった。

こんな版画が延々と続くわけで。
 それでふと思ったのは、これを描き続けたこの人たちの胆力はすごい。特に、オットー・ディックスは、兵士として参戦したのは知ってたけど、今回初めて知ったのは、第一次大戦中、4年間、ずっと参戦してたのね。一度、負傷して戦線を離れたのに、回復したらまた参戦したんだそう。
 従軍画家じゃなく一兵卒として参戦して、こんな絵とか

こんな絵とか

こんな絵とか

のスケッチをずっと続けていた。たしか、戦後も病院に死体を借りて描き続けたはず。『戦争』は、戦争終結から五年を経て1924年に出版されている。
 ちなみに、オットー・ディックスの代表作とされる《塹壕》は、ナチスに「頽廃芸術」とされ「頽廃芸術展」で巡回した後、焼却されたことになっているが、どこかで誰かが隠し持っていないかなと妄想してみることもある。というのは、2013年にもナチスが没収した絵画が1500点も見つかったりするので、まだどこかにあるかもって想像もそんなに現実ばなれしていない。
 第二展示室が空いているようだったので、月岡芳年上野戦争に取材した『魁題百撰相』も、この美術館の所蔵なので、併せて展示してもらえば嬉しかった。
 その後、初台のオペラシティアートギャラリーで、荒木経惟の「写狂老人A」てふ展覧会。

 荒木経惟に関しては、チョット寝覚めの悪い思いをしているのは、草間彌生の自叙伝『無限の網』を読んでここに感想を書いたとき、本文に引用されていた、浅田彰のネットの文章をそのまま紹介した。っていうか、コピペしたわけ。普通にリンクを張った方が良かったか知らなかったが、浅田彰草間彌生を「激賞」してるのに感動して、どうしても読んでほしいと思ったので。
 だけど、その浅田彰の文章ってのが、草間彌生荒木経惟の共同展についての記事だったので、草間彌生を激賞する一方で、「それにつけても荒木経惟は・・・」みたいな感じで、荒木経惟の方はケチョンケチョンに貶している。草間彌生の本は、その部分は割愛して引用されてたが、私はコピペしちゃったから、そのままになってる。
 それで、私も十二分にアホなので、そういう文章を読むと、「荒木経惟なんて大したことないのかな?」って思ってモヤモヤしてたんだが、今回の展覧会はすごいわ。
 奇しくもこの展覧会も、撮影OKだったんだけど、奇しくもこの展覧会もカメラを向けるのが辛かった。実際、一旦は素通りしたんだけど、もう一度戻って撮った。


 これは、戦場写真だと思った。オットー・ディックスの

こういうのと同じだと思う。
 アートなんてどうでもいいわと思った。写真がアートである必要なんてある?。
 草間彌生の写真も何点もあって、それがいい写真だった。浅田彰がいってることは、それはそれとして、荒木経惟草間彌生の写真を撮って、それがいい写真だとなれば、どんな評論家の言葉もあっさり超えちゃいますね。

 話は戻るけれど、この女性たちは、どうしてヌードになったんだろうと思う。

返す刀で、じゃあ、なんで俺は服を着てるんだって訊かれたら、確かに答えに窮する。自分で言うのも何だが、私はオシャレなんだ、白状しちゃうけど。世の中のオシャレな男の半分くらいは多分私と同じく、自分に自信がないんだと思う。いつもビシッと決めてます。どれくらいビシッと決めてるかと言うと、間違ってもビシッと決めてるとバレないくらい。
 そういうわけで、こういうヌードを見てると、服を着てるのが恥ずかしくなる。流行に流されてるとかそういうレベルではなく、流行を意識しつつ、間合いを図って少しずらしてますから。われながらめんどくさい。服ではなくて自意識を着て歩いてるようなもんです。

 実は、オペラシティアートギャラリーに来たのは、常設展が目当てだった。ここの所蔵品は難波田龍起のコレクションが母体らしく、難波田史男の作品も多い。
 こないだ、DIC川村記念美術館のヴォルスの展覧会の最終日に駆け込んだ。

小品だけれども、これは良い絵だと思う。そして、難波田龍起の子の難波田史男を思い出してた。難波田史男より音楽的かもな、とか。ヴォルスも難波田史男も30代で夭逝している。
 難波田史男、長谷川潔有元利夫、清宮質文、奥山民枝、と「静かなひとびと」と副題をつけた、夏の始まりにふさわしいいい感じの展覧会。野坂徹夫の《陽のあたる家》に再会して嬉しかった。
 それから、DIC川村記念美術館には、ジョセフ・コーネルの箱が何点かあり、これは私は好きだった。