ルドンとその周辺

knockeye2012-02-10

 先の日曜日は、三菱一号館で「ルドンとその周辺」という展覧会を観た。
 オディロン・ルドンという画家を思うとき、いつも感嘆させられるのは、初期の幻想的なモノクロームから、後年の色鮮やかさへの、メタモルフォーゼのみごとさだ。雪に鎖された暗い冬を、花盛りの森が塗り替える。
 若いころの才能のきらめきだけを残して去っていく画家は多いと思うのだ。エゴン・シーレとか、石田徹也とか。
 しかし、ルドンの絵は、幻想も果実を実らせることを教えてくれる。それは、とても感慨深い。

 上の絵は、石版画集『夢想(わが友アルマン・クラヴォーの思い出に)』のうちの<日の光>。
 ルドンの版画には、この絵のように、窓の向こうに何かの部分が見えているという構図が、繰り返しあらわれる。この絵のそれは伸びやかな大樹。
 だが、よく観ると、暗い室内のあちこちに何かが浮遊している。
 アルマン・クラヴォーは、ボルドーの植物園で働いていた植物学者で、若いルドンの教養形成に多大な影響をおよぼしたと、図録にはある。

ルドンの言葉によれば「一日のうち数時間だけ光線の働きによって動物として生きる神秘的な」植物の研究をしていた

人だそうである。
 このような幻想が、私たちの今の教養と同じ礎に立っていると知るべきだ。知性は常に、このような幻想で耕されていくべきなのだ。
 アルマン・クラヴォーは、ルドンが50歳の年に自殺。62歳だった。この画集はその翌年に刊行された。
 闇の中に浮遊しているものは、ルドンが39歳のとき発表した最初の石版画集『夢の中で』の<発芽>を思い出させる。
 この絵が美しいのは、私たちが何かを幻想できる生き物であること、そして、まぎれもなく、そのことが私たちが人間として生きていることそれ自体であると教えてくれるからだと思う。
 この絵は、幻想する自由を、ひそやかに、しかし、たしかに、宣言していると思う。